家と会社と英語の繰り返しですこしずつ精神のバランスが回復していった

離婚の苦しさから現実逃避するためにはじめた英語の勉強。文法だけではなく会話にも手をつけ始めた。まずはNHKラジオの英語講座。そして実家に放置されてた英会話のカセットテープ(当時はまだカセットテープのウォークマンがある時代だった。@90年代)

文法が理解できるようになって会話や読み書きがすこしずつわかるようになっていった。いつのまにか現実逃避ではなく、楽しみのための英語の勉強になっていったのだ。

通勤途中では、カセットテープで会話を聞きまくり、家ではラジオとテレビの英語講座。聞き取れないけど耳をどんどん英語に慣らしていく。英語を聞いているあいだは、悲しいとかの気持ちがどっかに飛んでいっている。

それでもふとした瞬間に悲しみの波がどかっと押し寄せてきて一気に底に沈んでしまう。それでもめいわくな波が襲ってくる頻度がすこしずつ減っていく。すとんと落ちても浮上するのが早くなっていった。

別居してからの3ヶ月は会社と家を英語を聞きながら往復する日々。どこかへ遊びに行こうとか、街に出ようなんて気持ちにはまったくならなかった。別居が決まったあと、もと夫と住んでいたマンションに引き続き住むことになった。妹が一緒に同居してくれた。

マンションのあった神楽坂はふつうの家族はあまり住まないような地域で、同じ階には品のいいおばあさんと日本語をきちんと話す白人女性が住んでいた。子供がいるような家族に会うことがなかったのはありがたかった。生活感がなくて無機質な都会のど真ん中はぼろぼろになった精神を回復するのにはとてもよい場所だったと思う。会社へはバスで一本。朝の通勤時間でも使うひとはまばら。こんなところからどこかへ通勤や通学をするう人なんて多分あまりいないのだろう。

会社の同僚と家で暮らす妹と訪ねてくる家族とごく一部の友達以外との接触はまったくないほど外部を完全にシャットアウトしていた。

会社を定時であがって、バスに乗ってまっすぐ神楽坂に戻る。ラジオの英語講座を聞きながら夕飯の支度をしているうちに妹も仕事から戻ってくる。夕飯のあとはまた英語の勉強にもどり、お風呂に入って寝る。翌日はまた会社へ。まるで修行僧みないな同じルーティン。

でもこれを繰り返していくうちに、少しづつ精神のバランスが回復していった。先のことはいっさい考えられず、今日をどうやってサバイバルすることが精一杯だった日々。気がついたらこれからのことを考えることができる毎日になっていった。  

   

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