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元気の2極化

最近同世代(50〜60代)の元気さが2極化されているのがとても気になる。
ホルモンバランスの変化は侮れないものだけど、そういうのではなくて。
男女関係ないし、収入の多い少ないも関係ない。

過去をベースに未来を思い描くから不安になるのかもしれませんね。
体温維持のためのホメオスタシスは生きるためにとても重要だけど、脳みそのホメオスタシスは過去の自分を基準にして安定させようとしてるだけなので成長を妨げることも多い。(ホメオスタシスの話しは高額セミナーの説明会なんかで悪用されてるらしいですけどね。えいっと買わせたいから)

過去にできたことだって使わなければ衰えますよね。
例えば書くことをしないでいると漢字、読めるけど書けないみたいになるし、柔軟体操を毎日習慣化していたときには難なくできていたブリッジも、やめてしばらく経つとそんなのいままでいちどもできたことがなかったかのようにできなくなる。

その逆だって全然ある。
アビダルマ仏教によると時間は未来から現在、そして過去へと流れる。
すごい雑なわたしの捉え方は結果オーライ。
終わり良ければ全て良し。
怪我の功名。

成功者(なにを定義に成功者なのかはわかりませんが社会的に成功しているように認識されている人)って、下積み時代の苦労話を出して「あの時の苦労があったからいまのわたしが」ってよく言いますよね。

でも苦労してる時はやっぱそれなりに苦しかったのは事実でしょうし、傷ついて腹がたったり、惨めな思いをしたり、悲しんだり、その時は未来の自分が惨めな思いをしている過去の自分を得意げに語ることなど想像もせずにめちゃくちゃ苦しんだ過去がある。

だけど講演で過去の苦労話をするとき、なんだか誇らしげなんですよね、過去は過去で同じ過去なのに。

これも、過去自体が変わったわけじゃなくて、自分の解釈が変わっただけ。
未来をいいものにした瞬間、過去の苛烈な出来事が宝物のような解釈に変わる。

不甲斐ない過去の自分を基準に未来の設定をしている人はだいたい元気がない。
(わたしよく人から相談を受けるのですが)相談事の内容も、変えることができない過去の出来事ばかりです。

未来の行動に対して脳を使っている人は元気。相談の内容も元気。

自分の人生を、映画のワンシーンとして捉えるということを習慣的にされている方もいらっしゃると思うんですが、そうだなぁ。
ベン・スティラーやポール・ラッドはトラブルに巻き込まれてドタバタしてたくさんの不運が重なって、でもその不運続きのときってだいたい観客は笑ってたのしんでいるじゃないですか。

最後はめでたしめでたしになるの、観客はわかってるから安心して笑って観ていられる。

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