愛を受け入れられないひとへ

(下書きによさげなタイトルで残ってたのに本文がなかったからそのタイトル引用して書いてます)

最近思う。
「自分は愛されない」とかいう呪いにかかってるひとがたくさんいる。
わたしもその呪いを背負って生きてる。

最近になって実際はそんなことないのかもしれないって気がついたんですけど、「愛されない」っていう呪いを背負って生きるのはとても、悲しい。

多分「愛されない」と嘆くひとの実態は「愛を受け入れられないひと」なんだと思っていて

そりゃ機能不全家族やらネグレクトやらいじめやら、いわゆる「(よくある常識的な意味で)普通のひとは通過しない道」を通ってきたなら
そういう思想になるのは自然なこととも思うけど
実際自分が受ける愛やら憎悪やらを全部まとめて100と考えてみて
100が全部憎悪ってひとはなかなかいないんじゃないか。
どうあがいてもどんな人でも多少の愛は受けているはずで、
でも地獄みたいな人生送ってたらその多少の愛だって感じることができない。
だって目の前の地獄が怖くてたまらないから、少しの愛なんて目に入っても地獄への恐怖が勝つんだもん

仕方ない。
タイトル:愛を受け入れられないひとへ。
この言葉は自分の当面の課題だ。

ひとはみんなそれぞれ地獄を生きていて
自分だけの悲しみに寄り添って生きていて
そんな中で悲しみの成分だけを強く感じ取ってしまって、悲しいことにまわりからの愛情を素直に受け止めきれない。

そんな拗らせた考えや姿勢、やめてしまいたいけど
それを認めてしまったらわたしはわたしのままで居られるんだろうか

それすらも怖かったりする。

人にたくさんまえむきな言葉をかけるけど
それを一番欲しているのは多分自分の中の大人になりきれないコドモなんだろうなって思います

愛をまっすぐ受け止められるようになれるといいね


三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!