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お兄ちゃん

私が6歳ぐらいの時の話。

私の実家は山を持っており、なんでも元城跡かなんかだそうで、先祖代々、山を守ってきたらしい。その年の春すぎも、草刈りなどの手入れのために父と祖父が山に登って行った。その時、「私も行きたい!」と言って、ついて行こうとしたが、まだ幼く、危険だということでついて行かせて貰えなかった。

よく覚えていないが、当時の私は大変な問題児で、基本大人しかったが突飛な行動というか、とにかく行動力が凄まじかったらしい。「面白くない」と勝手に保育園から抜け出して家に帰ったり、チューリップの球根を植えたばかりの花壇を、「土の中(球根の成長過程)が気になったから」と掘り起こしたり。果ては、水族館で「ペンギンが見たかったから」と親が一瞬、本当に5秒も経っていないほどほんの一瞬目を離した隙にいなくなっていたりと、とにかく行動力が飛び抜けていたという。

そんな私はその時も謎の行動力を発揮し、母親が洗濯を干している庭で遊んでいたが、やっぱり山に行きたくて、母親の目を盗んで山へと入っていった。山への道は家を出てすぐのところで、途中までは道路が敷かれているが、その先は土がむき出しで、笹の葉がたくさん落ちている山道。参道を少し進むと、父と祖父が乗っていったであろう軽トラがあり、軽トラに誰も乗っていないこと、道に間違いがないことを確認した私はそのまま山道を進んでいった。

昼間なのにもかかわらず、木々の所為で日が入りにくくなっていて、頂上までは距離があり、その道中には迷いやすい場所もあったが、私はそんなことも気にせずにどんどん歩いていく。けれど、いくら体力のある子供だとしても、草履での山道はきつく、その場にうずくまってしまった。

その時、「大丈夫?」と声をかけられ、そっちを振り向くと、高校生ぐらいのお兄ちゃんがいて、私のことを心配そうに見ていた。私はなんだか懐かしいものを感じ、「誰?」と聞くと、お兄ちゃんは「内緒」といい、「どうしてこんなとこにいるの?」と私に聞いた。私は、父と祖父が山に行って、自分も行きたかったけどダメと言われたから勝手に来たことを言うと、お兄ちゃんは少し困ったような笑みを浮かべた。お兄ちゃんは「ここは少し迷いやすいから、上まで一緒に行くね」といい、「乗って」とその背中を私の方に向けてしゃがんでくれた。お兄ちゃんは一本道に出るまで私をおんぶしてくれて、その間、私とお兄ちゃんは沢山話をした。具体的な内容は覚えていないけれど、お兄ちゃんとの話はとっても楽しかったのは覚えている。

それからしばらくして、一本道があるちょっとした広場に到着し、降ろしてもらった。私はお兄ちゃんの手をぎゅっと握った。なぜかは分からないけれど、この手を離したらお兄ちゃんが消えてしまうような気がしたからだ。そんな私の不安を感じ取ったのか、お兄ちゃんは反対の手で私の頭を撫でた。私は「また会える?」と聞くと、お兄ちゃんはただ、にっこりと笑った。「~~っ!!」と私を呼ぶ声が聞こえ、そちらを向くと、お兄ちゃんとつないでいた手が放され、急いでお兄ちゃんの方を向くと、目も明けられないほどの強い風が一瞬だけ吹いて、私は目をつぶってしまった。目を開けるとそこにお兄ちゃんはおらず、ただ、笹の葉が舞っているだけだった。

それから私は父に見つかり、強制的に下山させられ、母に山に勝手に行ったことを怒られ、怒られた衝撃でお兄ちゃんのことをすっぽり忘れてしまった。

それから約十年経ち、高校生になった私は、ふとあの時のお兄ちゃんとの出来事を思い出し、父に話してみることにした。すると、父は驚いたようだったが、一言「そうか」と言った。

あの山はその昔、お城があったが、その前はとある神様が住んでいたそうだ。お城を建てる際にちょうどいい場所がその神様が住んでいるところしかなく、山を貸していただき、城の敷地に内にお社を移し、お城がなくなる時にその神様に返したという伝承が残っている。その証拠に、今でも鳥居とお社が残っており、父と祖父は城跡だけでなく、そのお社のメンテナンスも兼ねて山に登っていたらしい。その神様は、数えきれないほどの年月をあの山から見守ってくれていて、今は信仰する人も少なくなったけど、昔、それこそお城があった時代は『天狗様』と呼び、親しんでいたそうだ。父は「お前はまだその時6歳だったから、心配した天狗様が姿を現し、助けて下さったんだろう」と言った。

私にはお兄ちゃんが天狗様なのかは分からない。だけどあの時。確かに私を助けてくれたお兄ちゃんは、今も変わらず、私の大切な思い出のお兄ちゃんであることは事実で、また会えるなら、あの時言えなかった「ありがとう」を言いたいと思っている。

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