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頭に思い浮かぶよしなしごとを残していきます。詳細→ https://note.com/…

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頭に思い浮かぶよしなしごとを残していきます。詳細→ https://note.com/mikage_g/n/nd72f56dd2792

最近の記事

はじめようか、人間観察

※以下はTwitterにpostした文章を整理し、手を加えてまとめたものです。 ―――  飯食いながら、2021年のイイトコ探ししてたんだけど(早くね?)、俺の中で「人間観察」を定義しきれたことがいいことだなぁと思いました。  皆さんはどうだかしらんけど、俺の世代では「人間観察」といったら斜に構えた中二病オタクの趣味みたいな感じで、読書に並んで「出、出~~~wwwwww無趣味奴~~~~~~wwwwwww」って感じでバカにされる趣味だったんだよね。  俺も人間観察が趣味

    • 思考の腑分け

      ※以下はTwitterにpostした文章を整理し、手を加えてまとめたものです。 ――― 「わからないことの言語化」でそれを思い出したんだけど、「自分が特定の物事に対してなぜそう感じるのか?」を分解して把握するのが趣味だった時期があって、これを勝手に「感情の腑分け」と呼んでいた。  自分が見て感じたことについて、なぜそう感じるのか? を漠然とさせておくのは不都合が多いように思う。それを放っておくことは、例えば、自分の腕の長さを知らないまま遠くのものを取ろうと手を伸ばすよう

      • 気付いたんだけど同担拒否だった

        「同担拒否」という言葉がありまして。これは元々はジャニーズファンの用語だったらしいんですが、最近はなんだかんだと耳や目に入ってくるようになったような気がします。  この同担拒否という言葉、長らく言葉だけを知っていて意味を知らなかったんですが、つい先日、何の気なしにどういう意味なのか調べてみたんですね。まぁ、調べてみたといってもWikipedia読んだくらいなんですが、そこにはこうありました。 「『A』というアイドルのファンであることを『担当』と呼び、他のAのファンを同担と呼

        • Dye the skyについて書きたいのだが

          何もかんも古戦場が悪すぎる

        はじめようか、人間観察

          【ネタバレあり】芹沢あさひ考(妄想)

           アイドルマスターシャイニーカラーズというゲームを生半可にプレイしておりまして、特に芹沢あさひというキャラクターがお気に入りです(というか、それ以外は大して興味がない)。先般、このキャラクターの新しいストーリーが公開されまして、その時の感想をTwitterにいくつか投じていたのですが、最終的な着地点がまだでしたので、Twitterのpostをまとめつつよしなしごとを書いていこうと思います。 【以下、Twitterより抜粋】  他のアイドルのときはよくしらんけど、限定Pあさひ

          【ネタバレあり】芹沢あさひ考(妄想)

          人生のクリアを自然死だと定義すると

           飯食いながら考えてたんですけど、人生がゲームだとして、クリアを自然死だと定義すると、このゲームって難易度めちゃくちゃ高くないですか? いや、高尚な話じゃなくて、「飽き」がすごくないですか。飽きたゲームって途中でやらなくなるけど、人生はそういうわけにはいきませんからね。  そう考えると、やっぱり人生の正攻法は結婚なのかなと。やっぱり「他人」という不確定な要素は大きいですからね。子供も生まれれば自然とやることもできますし、「暇だからそろそろやめっか」みたいなことも少なくなるわ

          人生のクリアを自然死だと定義すると

          我々は歴史の空白を生きている

           油断すると益体もない話が続くので、たまには与太話でもしましょうか。 「歴史の空白」という概念は、誰でも何がしかで触れたことがあると思います。例えば、「ある日急に住民がどこかへ消え去った古代文明」とか。ファンタジーであれば「科学や魔法によって栄えた超古代文明」みたいな、そういうやつです。こういうものは、なんとなく浪漫のあるファンタジー寄りな設定なので、現実感がないという人は多いかもしれませんね。  しかし、仮に100年後から現代を振り返ったとき、我々はそうした「ファンタジ

          我々は歴史の空白を生きている

          それはそれとして

           思ったより言いたいことがぼんやりしてしまったので、追記として。  なんだかすごい壮大な話のようになってしまいましたが、インターネットで起こっている価値観の戦争は、そのほとんどが蛮族の喧嘩レベルです。  私が何かを「叩く」とします。そのとき、私は「実は、相手の言うことにも一理ある」と思っています。思ってはいるものの、それで道を譲ると自分にとって居心地が悪くなるから、相手を殴りつけるわけです。  価値観の戦争 蛮族編において、相手が「正しい」かどうかは、全く関係ないのです。ぼ

          それはそれとして

          クレバーに拳を握りクレバーに殴る

           毎日書こうと思っても、なかなか継続するのが難しいものですね。昨日書いたから今日は良いかとか、体調が悪いからとか、そもそも書くことが思い出せないとか。まぁ、ぼちぼちとやっていきます。  さて、大抵の物事には「そうしなければならない理由」があるという話は、前々回の記事で触れたと思います。一見して「間違い」であっても、別の視点に立ち、そこで選べる選択肢を吟味した結果、そうすることが唯一の「正解」だという場合があるわけです。しかし、当然ですが、こうした「正解」は他人からわかりよう

          クレバーに拳を握りクレバーに殴る

          本を読むのが嫌い

           前回の文章を読み返してみたんですが、文体のせいかめちゃくちゃ意識高そうでビビっちゃいましてね。意識レベルとしてはマリアナ海溝よりちょっと高いくらいを目指してるんで、とりあえず文体を崩す感じで意識を低めていこうと思います。  さて、表題の件なんですが、ここでいう「本」っていうのは、いわゆる半生を綴った自伝みたいな、そういう奴ですね。他人の思想とか人生訓とか、そういうものが書いてあるやつ。まぁ、このnoteもそういうものの一例なわけですが。  そういう本を読むのが嫌いなのは何

          本を読むのが嫌い

          怒りの源泉とリスク

           私は、「怒る」ということがエンタメとして好きだ。言い換えれば「キレること」が好きだ。若い頃から四六時中、さまざまなことに怒っていたし、今でも沸点が低い方だと思う。感情の変化は、最も金のかからないエンターテイメントのひとつであり、特に「怒り」は、喜怒哀楽の中でもっともコストパフォーマンスに優れている。何にでも、怒ろうと思えばいくらでも怒ることができるからだ。  しかし、注意したいのは、こうしたインスタント的なエンターテイメントとしての「怒り」の原因は、多くの場合、自らの無知

          怒りの源泉とリスク

          はじめに

           常々、さまざまなことを考えているような気がする。  しかし、実のところはどうだろう。まったく同じことを頭の中で堂々巡りさせているだけで、いざ頭の中を書き出してみれば、あっという間に頭の中は空っぽになってしまうかもしれない。なにせ、常日頃から何かの本を読んでいるわけでも、特別な体験をしているわけでもないわけだから、思考に発展性や多様性などあるわけがない。  かといって、別段そうした刺激的な物事に取り組むほど積極的にもなれない。ただ「文章を書く」という行為ですら、ああして、こう

          はじめに