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破天荒な祖父

わたしが通う小学校は、土足厳禁。

学校に着くと、
まず下駄箱が設置されている玄関に行き、つま先が
赤いゴムになっている上履きに履き替えます。

そして一日、
教室での授業は、その上履きで過ごします。

ですが、マット運動のときは、
体育館に移動することになります。

この時、理由はわからないのですが、
体育館シューズと言うモノに
履き替える必要がありました。

それは、いつも履いてるつま先の赤いゴムの部分
がない、白い布だけで出来ている上履きでした。

土曜日、お昼で学校が終わると、
一週間給食係をした時は、
かっぽう着と三角巾が入った白い綿袋を
ランドセルの横にひっかけ、つま先の赤い上履きを
手に、自宅に持ち帰っていました。

かっぽう着は来週当番の人に渡すために、
週末に自宅で洗濯します。

上履きは、一週間履き続けて汚れているので、
自宅で洗濯粉をつけ、
ゴシゴシ洗って持っていきます。

体育館シューズはあんまり履くことがないのと、
体育館の中でしか履かないせいか?
いつまでたっても汚れることはなく、
気が向いたときに持ち帰り、
洗うということを繰り返していました。

買ったばかりの時は、気恥しいほど真っ白な上履き
も、いつの間にか全体的にくたびれた感じとなって
いることもしばしば。

いくらつま先がゴムでコーティングされていても
側はすり切れ、酷いときには穴が空いていました。

体育館シューズは大丈夫かというと、これも汚れて
ない気がするだけで、新しいシューズを買った子と
比べると、気付けば薄汚れた印象に。

わたしはある日、意を決して、どうも薄汚れた気が
する体育館シューズを自宅に持ち帰り、洗ってみる
ことにしました。

洗濯粉を山ほどつけ、
長細いタワシに持ち手がついたようなもので
ゴシゴシすれば真っ白になるものと信じて。

土曜の午後、
わたしはいつも祖母が洗ってくれるように、
ジブンでゴシゴシして、乾きやすいように陰になる
場所を探し、つま先を上にして壁に立てかけ、
乾くのを待つことにしました。

日曜の朝、目が覚めるとすぐにブカブカのつっかけ
を履いて、様子を見に行きました。

けどそこには土曜のお昼までよりも、
余計に薄汚れて古ぼけた風貌の体育館シューズが、
ややくたびれた感じで立てかかっていました。

水をかけて洗ったことにより、
世界地図のような、
昔経験したオネショのあとのような、
薄くて茶色いシミになっていたのです。

一生懸命、
見よう見まねで洗ったはずの体育館シューズ。
わたしは祖母の元に行き、

「シューズが汚くて学校にいかれん」

と訴えました。
すると、それを傍で聞いていた祖父が
こう言ったのです。

「わしに貸してみぃ!」
「おじいちゃんがキレイにしちゃるけぇのぉ!!」

(お、おじいちゃんはやっぱりすごい!)
(いつもお酒を飲んでばかりいるおじいちゃんだけどやるときはやるんじゃ!!)

わたしはそう思いました。そして、

(きっとおじいちゃんが魔法をかけてくれるんじゃ!!)

わたしはおじいちゃんを信じていました。
月曜の朝、眠さでボンヤリと台所まで行くと
こんな声が聞こえてきました。

「おじいちゃんが真っ白にしちゃったけぇもう大丈夫じゃ!!」
「来てみぃ!!真っ白にしちゃったけぇのぉ!」
「小学校いちじゃ!!」

(さすがはうちのおじいちゃんじゃ!)
(やっぱりやるときはやるんじゃ!!!)

わたしは、ご飯も食べずに、
心躍る思いでシューズを見に行きました。
しかし、目の前にあったのは変わり果てた姿の
体育館シューズ。

まるで不自然きわまるベタ塗りした白壁のよう。
確かに白いのだけれど何かが違う!

絵を描くのが得意だった祖父に
ペンキを真っ白に塗られていました。

目を疑う気持ちで一杯のわたしは、
おそるおそる手をのばしてみました。
手に触れたそれは何かのオブジェのように
カチカチになっていました。

(これじゃあ学校に行っても固すぎて履くことができん・・・)
(しかもへんな白色になっとるし・・・)

おじいちゃんはすかさず声をかけてきました。

「おじいちゃんに不可能はないんじゃ!」
「真っ白じゃ!」

わたしは返す言葉もなく、

(どうしてこうなったんか。)
(どうしてあの破天荒なおじいちゃんを信じてしまったんか。)

頭の中で上手く整理することも出来ず、
気付けば目は涙で溢れ、
ただボンヤリと
シューズは歪んで映っていました。

祖父は、いつだって
第三の選択肢を自ら生み出していくような、
人が思いもつかないようなことをする
斬新すぎるヒト
でした。

そして、
なんだか変わったヒトだなぁと思いながら、
祖父の子どもや孫も合わせ、
気付けば一番祖父の感性を色濃く引き継いで
いるのがわたし
でもあります。

しかも年齢を重ねるにつれ、
際立ってきているようにも感じられます。
(祖父と過ごしたのは12歳までだったのに。)

いつも
周囲を驚かせるようなことばかりだった祖父。
当時のわたしはそんな祖父に途方に暮れ、
いつも涙が滲んでいました。

しかし、今になってみれば、
全ては孫を想い、喜ばせたい一心でのこと
わたしはひとりコッソリと、
微笑ましい気持ちに包まれています。

わずか12年間ではあったものの、祖父は今も
わたしたちの心に、色あせることなく共にあり、
おかげで楽しく過ごすことができています。


そんな祖父に、そっと感謝のことばを届けたい。

おじいちゃん、ありがとう


~かおのことが気になるあなたへ~

分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話しています。
どうぞこちらもご覧くださいね。


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