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祖父と松とわたし

祖父はいつも自宅で松の剪定や、掛軸を書いたり
彫刻をしたりしていました。そして時に、尺八を
吹いていたりもする芸術家肌。

わたしはこんな祖父と共に幼少期を過ごしてきま
した。

松の剪定時期になると、祖父はいつもカセットテ
ープに録音した尺八の演奏を聴きながら、作業す
るのが日課。

庭に植わった沢山の松は、生活に困った時に商売
にでもなればと祖父が植えたもの。それなのに、
育てているうちに愛着が湧いてしまい、わが子の
様に大事にしていました。

元々芸術家肌でもあるせいか、庭師さん並みにと
ても上手に剪定をしていました。そのせいか、わ
が家には「松を見せて欲しい」という方が訪れて
は値段交渉をしていました。

けれど、祖父は決まって


「売るくらいなら根元から切り倒します。」


と即答。幼い頃、こんな光景を何度となく見てき
ました。

祖父が亡くなり、その後は父が松を手入れしてい
ました。父は芸事は得意ではありませんが、大切
に手入れをしていました。

そして今、父も腰に負担がかかるようになり、孫
のわたしが剪定を担当しています。もちろん、祖
父の様にも父のようにも上手く剪定することは出
来ません。

それでも、誰かに譲るくらいならわたしも根元か
ら切り倒すつもりです。

生前、祖父が良く口にしていた言葉。

「松は子どもと同じ。」
愛情を持って育ててやらないとすぐにダメになる。

庭に沢山ある松は何もモノを言うことはありませ
ん。

けれど、かつて祖父が大切に愛情をもって育てて
きた松です。その後、父からも大事にされてきた
松です。

言葉にはできなくても沢山の愛情を注がれてきっ
と喜んでくれていると思うのです。それだけでな
く、松の木に祖父や父の想いが入っていると思う
のです。

こんな風に感じられるわたしにとって、松はかけ
がえのない家族同然の存在。
だからこそ、手入れ
にどれほど労力がかかろうとも人手に渡すことな
どできるわけがないのです。

毎年、剪定ばさみを入れる度、わたしは祖父のこ
とを想い出します。松は今は亡き祖父とわたしを
繋いでくれる心の支えでもあります。

↑ 庭の松 イメージ画像

~かおのことが気になるあなたへ~

分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話して
います。どうぞこちらもご覧くださいね。


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