講師業とは学習者のライフイベントに左右される生き方
先日こんなつぶやきを投稿したら予想外に反応がありました。
これ、色々な解釈ができると思いますが、いいねを押してくれた先生達も何らかの思い当たることがあって共感していただいたのかな?と思います。
生徒と仲良くなると、休みの日も日本語の質問をされたりディスカウントしてくれと要求されたり、一線を越えられると嫌だという話も聞いたことがあります。まあ確かに私も日本語学校時代、学生にアパートの管理会社に連絡してくれとか頼まれて困ったことがあったなぁ。
今の私の場合は、またちょっと違うケースです。
italkiでごく数人、お友達のように仲良くしている方がいます。
昨年ヨーロッパに行った時にお会いして非常にお世話になったり、趣味も話も合うからよく連絡をしていたり。
日本語学校では生徒との個人的接触は禁止されていますから、私にとっては新鮮でしたし、うれしかったです。
日本語教師の仕事は生徒のライフイベントに関わっている
特にフリートークになると、生徒さんが自らプライベートを話してくれる機会があります。時には、結構深い話まで。
生徒さんも、私たちは第三者で利害がなく、かつ優しく聞いてくれるのでちょうどいい相手なのでしょう。自身も英語で先生達に話を聞いてもらった経験があるのでわかります。
そして私の日常を聞いてくる方もいますから自然と距離が近くなります。そして何かを共有した気分になるのですが。
しかし、結局は彼らがその言語に飽きてしまったり、引っ越し、結婚、失職等生活が変わるとき、私たちとはお別れになる可能性が高いです。
突き放した言い方をしてしまうと生徒さんはお客さんでお金で繋がれた関係ですから。
と言いつつも、講師業はお客さんと人間的につながることができるのがちょっと厄介なのかもしれません。というか私の性格も大概厄介だと思ってきました(笑)
今は常に綱渡りな状態
ある生徒さんに転機が訪れそうな話を聞きました。
レッスン中は笑顔でもちろん喜びましたが、終わったあと、「ああ、もうこの人とはお別れなのかもしれない」と思うと寂しく、なんだか自分だけぽつりと置いていかれた気分になりました。
逆に私たちも急にitalkiをやめるとか、日本語教師自体をやめることも十分に可能性としてあるわけなのですが・・。
そしてお客がそこまで多くない状態でオンラインプラットフォームだけに頼る生活をしてしまうと、常に生徒さん達の生活により予約状況が変動し、その不安定さが精神に直結します。
実は二月。italkiでほとんど予約が入っていない状況もありますから、なんだか急に教えることも、この左右される生活に嫌気がさしてしまいました。
こんなことがずっと続くのかと思うとまた落ち込みました。
心身健康じゃないとこの仕事は務まらない
接客業に共通して言えることですが、自分の感情は抑え、笑顔で目の前の相手を楽しませ喜んでもらうこと。
自分の大事な生徒さんなのに、心から祝福できないのは悲しいですよね。
だから、特に”心が元気な状態である” ということはこの仕事をしていて必ず必要とされることだと思います。
繕っていてもいつか勘がいい生徒さんには気づかれるだろうなと思います。
投げやりな気分のときは
ああもう何もかも嫌!どうでもいい!やぶれかぶれなときは何かに集中することがいいです。って私が言わなくてもみなさんわかってると思いますが。
信用できる友人を捕まえて話す
別の仕事を探す(いろんな求人票見てると気が紛れた)
語学の勉強をする(語学を学ぶとセロトニンが分泌されてしあわせになる)
カラオケですきな歌を歌う
場所を変えてお金になりそうな方法を考える(マントラを聴きながら)
見知らぬ誰かのnoteの文章を読み励まされる
プロレスを見て推しに癒される
好きな芸人さんのラジオや番組を見る(私の場合はもっぱら紅しょうが)
とにかく基本的には自分がすき、って思えることをしてみました。そうしたらすこしずつ心が晴れている自分がいましたね。はあ、よかった・・。
私は日本語教師の仕事が好きです。
これからも続けていきたいし、講師として成長していきたい。
この悩みは私が歩みを止めない限りつきまとう問題です。
だから・・・いつでも生徒さん達とはお別れすることを心の中で覚悟しておくこと、楽しくおしゃべりしていても割り切ること、落ち込んだらいったん止まって他のことに集中すること。
いつでも器用にこなせませんが、しんどい時の対処法を知っておくことが大事だなと書きながら気付かされました。
安定しない今はやはりプラットフォームだけの収入源以外も持っておかないと大変ですね。いつでもしなやかに対処していきたい。
結論:早く忙しくなればいいなあ(笑)
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