将棋と「水曜どうでしょう」はちょっと似ている。
将棋と「水曜どうでしょう」はちょっと似ている。
なぜそう思ったかというと、将棋を指すということは「過程を追求する」ことだと感じたからです。
「水曜どうでしょう」は「過程」を楽しむことしかしていません。サイコロを振って夜行バスに乗る。着いたところでまたサイコロを振って新幹線。終電が無くなったらサイコロを振って夜行列車。書いてみましたが楽しさがさっぱり伝わりません。苦行以外の何物でもないと思います。
そう。「水曜どうでしょう」は「苦行」という「過程」を楽しんでいるのです。
やっている本人たちは「仕事だから」というよりも「やりたくてやっている」感じがします(知らんけど)。大泉さんは文句を言いながら誰よりも旅を楽しんでいる。
将棋も同じです。指している棋士の先生は、対局中ほぼ難しい表情で、ちっとも楽しそうではありません。盤上で駒を動かして、相手の王様を追い詰めるゲーム。1日、時には2日かけて戦うゲーム。何が楽しいんでしょうか。
これが楽しいんですね。その証拠に感想戦がいつまでも終わらない。この人たちは勝っても負けてもあまり関係がないのかな?と思えてきます。そんなことはないんでしょうけど、勝ち負けよりも過程を楽しんでいる。楽しむというと軽く聞こえるかもしれませんが、好きで楽しくなければ将棋の研究なんてできないんじゃないかと思います。
「水曜どうでしょう」を見るのは楽しいです。毎週水曜日のお楽しみです。でも、たぶん、絶対に、私より大泉さんの方が楽しいメーターは高いはずです。
将棋を見るのも楽しいです。でも、絶対に私より、指している棋士の先生の方が楽しいはずです。
そして、当事者たちが誰より楽しんでいるから、見ている側も楽しくなる。
「水曜どうでしょう」も将棋も、そういう構造になってるんだと思います。
自粛期間に、ジャニーズにハマった友人がいます。なぜハマったかを聞いたところ「誰も傷つけなくて楽しいから。優しい世界だから」と言っていました。将棋も同じだな、と思いました。勝ち負けがつくのに、誰も傷つかなくて楽しい世界。(解説者が批判しないのが本当に心地良い)
「好き」「楽しい」という軸はこれからどんどん主流になっていくんじゃないかなぁ。
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