見出し画像

母の日から一夜明けて

今年も母の日が過ぎて行った。
母の日ということで世間は赤やピンクのテーマカラーでお店もSNS画面も賑やかだった。
わが家の若い人(12歳)と小さい人(8歳)は朝起きて、しばらくしてから「今日母の日?」と。
当日に気づくこの感じ、いいぞ。
なんなら、夜まで気がつかずにその日を終えてもよかったのだが何か気付かされるトリガーがあったのだろう。
それほどに自分の人生に夢中になっているのだし、子どもらしく生きていていいな。
その日が母の日かどうかだなんて、その事実が書いてあるカレンダーなどを見る以外にはお店のポップであったり、広告だったり、SNSでのささやきなんだか大声なんだかを見る以外には知らないでいるのが日常だ。子どもに直接関係ない。あれだな、マーケティングの一種だからだ。

母の日だと気づいた小さき人は、すぐさまA5のコピー用紙(うちでは自由に使えるコピー用紙をA4・B5・A5で常においている)に何やら書いてある。見ようともしていないのに「見ないで」というというのでおおよその概要がつかめる。
若き人はあえてすぐに動き出さないが、気配は感じる。

そんなこんなで早速手渡された小さき人からの手紙(A5)には「ママいつもごはん作ってくれてありがとう。大好き」と母としての命を繋ぐという役割に対する感謝と愛のメッセージが綴られていた。

母の日ってなんだろう。
そういえば、去年もらった手紙には「ははのひおめでとう」と書いてあった。
祝う日だったのか。

去年のお祝いメッセージがじわじわ浸透していたのだろうか、今年の母の日は「感謝される」ということはありがたく受け入れる一方で、なんかこう感謝される日なのかなという違和感もあった。
英語では、Happy Mother’s Dayと表記するのであればハッピーバースデーと同じでおめでとうなのだ。
わたし、母でおめでとう。

わざわざ感謝してくれとも思えるようなことはしていない。家族というチーム内でできる人ができることをするというだけだから。子どもたちも子どもたちの役割を生きていてくれれてありがとう。
親に感謝するというよりは、わたしたちがいてよいだろう、感謝したまえくらいのマインドで子どもたちにはいてほしい。

この人たちと毎日過ごすのが楽しい。それでじゅうぶん。
家の中や外でいろんなことがあって、いいことも悪いこともあるけど一緒に過ごして、ご飯を食べて寝て起きる。ごちそうさまにおいしかったよの一言がついてくる。そんな日々がいいのである。

午後は2人で散歩に行ってくると出かけて行って、帰ってきてローソンで買ってきたというチョコをくれた。

夕方になって、若き人がくれた手紙はとっても短かったけど、「ママ大好き」と書いてあった。
2人がそう思っていてくれて、わたし母の日おめでとう。

今日は母の日だからと夫がいつも通り週末のごはんを作ってくれて、たくさん食べてたくさん飲んで踊って楽しく過ごして寝た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?