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失敗とミス──ミスは選択の間違い。じゃあ、失敗は?


人は新しく何かを始めるとき、失敗したくないという心理が生まれる。そこには、「失敗したら恥ずかしい」「失敗したら、何かを失う」といった不安があるからだ。

けど、実際のところ、失敗して失うものって何だろうか?

失敗する物事にもよるけれど、一つは『自分への期待』ではないだろうか。それも、過度な期待。

人には、それぞれ自分に対して理想の自分像というものが少なからずある。私にはそんなものはない、という人でも、少なくとも「私らしさ」というものを意識した覚えがあるんじゃないかな。それは、見方を変えれば理想の自分像を求めた一つの形ともいえる。

このほかにも、失うものは個人で仕事をしている人なら「信用」だったり、周囲からの「信頼」もあるかもしれない。あるいは、金銭などの資産も。

自分の店を開業するという人が、いざ経営困難になって閉店に至った場合、失うものはまず一つに資産。その次に、経営者としての手腕に対する信用・信頼。

じゃあ、元手のかからない何かを始めたときに失うものは何だろうか?

周りからこう見られたいという自分像だったり、そこにかけた労力だったりするのかなと思う。周りからこう見られたいという願望は、やっぱり自分への期待感に繋がる。

それは、羞恥心や失望という形に変わって自分に還ってくる。それを受け止められない人にとっては、失うことは怖いことなのかもしれない。

じゃあ、失敗って何だろう?

自分の失敗を振り返ったとき、私は思いつかない。それは、失敗をしなかったからではなくて、私自身が失敗を『失敗』とラベリングしてないからだ。

だから、あえてラベリングした場合、あれもこれも失敗だったなと思うことがわんさか溢れてくる。

私にとっての失敗は、あくまでも過程のなかの一つの点に過ぎないのだ。だから、twitterでもよく見かける「成功」や「失敗」の話についても、自分の「成功」と「失敗」って何だろうなといつも悩み、考える。

『失敗』と同様、私にとっての『成功』も過程という線上の一つの点でしかない。なぜ、そんなふうにとらえるのかと考えてみたら、失敗も成功も、視点を変えればただの出来事でしかない。私にとって、さして重要ではことだからだった。

重要なのは経験で、体験したことから何を得たか。それだけが、私にとって重要事項であり、生きていくうえでとても大切にしている視点だということ。

だから、ミスには凹むけど、失敗した!と思うことががあっても、その経験は次に活かすための養分になっている。

失敗とミスは、全く違う。失敗は、方法や手段の取り方がまずくて、目的が達成できなかったことを指す。一方で、ミスは、誤りや失策、思い違いを指す。

何かを始めるとき、期限を設ければ、失敗と名を付けることができるのだろう。期限を設けなければ、失敗と名を付ける必要がなくなる。

たぶん、この『期限』というものも失敗を失敗と捉えるのに大きな意味を持つと考えられる。私が失敗を失敗と捉えないのは、『期限』なんてあってないものだと考えているからかもしれない。

「人間は死ぬまで、人生がどう転ぶかなんてわからない」
私の中には、そんな思想が根付いている。

いろんな人の死を経験して、いろんな体験をして、そんな思想がいつしか芽生えていた。

ミスは、私にとってはまさに『失策』だ。選択や手段の間違いによって起こるものだ。でも、失敗は目的を手放してしまわずに、達成できるよう試行錯誤しているうちは一つの点(事象)。

失敗が怖くて動き出せない人は、最初から目的を手放す気持ちがどこかにあるんじゃないだろうか。だから、失敗したときのことを過度に不安がってしまうのではないかな。

失うものが『自分への過度な期待』なら、早々に失ってしまったほうが自分のためだ。過度な期待ほど、自分の首を絞めるものはない。

他の誰かが自分を馬鹿にしたって、自分のことはやっぱり可愛がってあげたいじゃないか。失敗だとかミスだとか、そんな言葉に振り回されずに、やりたいことをやれたほうが人生は楽しいよ。

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