離島移住前の回顧 5
小料理屋で会ったおじちゃん、後の私の上司 棟梁は、何かと世話を焼いてくれました。
お昼ご飯は食べてるか
夕方はバーベキューするからおいで
船釣りに行くからおいで
かき氷ご馳走するよ
などなど、、
その中でも、私に刺激や気づきを与えてくれたイベントが2つ。
1つは、平和の塔。
私が訪れた離島は、第二次世界大戦時にアメリカ軍が初上陸し、それに伴い島民の集団自決が起こってしまった悲惨な歴史があります。自決だけでなく、戦時中に命を落とした方の名前が刻まれた石碑があります。
おじちゃんはその内の1つの名前を見つけ、想いを込めるようにさすりました。叔母さまだそうです。
また別の石碑には、歌が一句。
無念が刻まれてます。
山の木々が囲う優しい木漏れ日がさすこの場所に、未だ霊は、想いは留まっているのでしょうか。何だか泣けて泣けて仕方ありませんでした。戦争はダメだ。ダメだと分かっていても繰り返されます。平和を願う、けれど平和とは、平和な状況や状態って何なのだろう、どういう在り方なのでしょう?そんな問いが投げかけられた機会でもありました。
2つ目。おじちゃんの紹介でダイビングをする機会を得ました。せっかく勢いでライセンスも取れたのだし、世界が恋する海に潜ってみましょうと。
おそらく私よりも若い女性ダイバーがガイドしてくれました。様々なポイントを見せてくれます。海底の白い砂には黒い固まり、ナマコがいます。海のお掃除屋さんなのだとか。数あるポイントの中に、それはそれは多種多様な魚、珊瑚、目には飛び込んでこない生き物が心地良さそうに集っている岩礁がありました。
『あー、これこそ平和な感じ。』
人間は、私は自分にとって益か害かで全てをジャッジしがちと感じます。極端には特別扱いしたり、排除しようとしたり。その良し悪しは取り敢えず置いておいて。
一方で、岩礁は、海は、生き物が見た目がグロテスクでも、毒をもっていても排除しません。いや、自然界の生物はそもそも海にとって毒でも害でも無いのかもしれません。全てを内包します。諸条件で高波になりもすればベタ凪にもなります。台風時には海中もかき回され、生き物にとっては散々かもしれませんが、そのお陰様でキレイな生態系が保たれます。
あるがままにあり、その他のあるがままを許す。
海にそのような意思があるかはさておき、直感的に平和を感じたさせてくれた海中の岩礁における集いでした。
そして私に必要なのは、海のようであれば平和なのだろうけれど、自分の意識は到底そこに及ばない器の小ささを許す事が平和への第一歩なのかもしれません。そこから、ホントはもともと自分も大きな意識である事を思い出すことを目指して。
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