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私が台湾進学を選んだわけ

初めまして。大学1年のCocoです。台湾での大学生活、私の人生の記録としてnoteを書き留めていこうと思います。

県2位の進学校に通っていた私は、台湾への進学を決断する高3の11月まで日本の大学への進学を目指し、みんなと一緒に受験勉強に励んでいました。そんな中でなぜ私は台湾の大学に進学したのか。それには4つの理由があります。


1.語学

2.国際経営・貿易学

3.異文化・異宗教の環境

4.「みんなと同じ」の違和感


1.語学

中高で得意科目が英語だった私は語学を学ぶことが好きでした。語学は世界とつながるツールであり、より多くの人と出会いお互いを知ることができます。幼い頃から異言語を堪能に話すことにずっと憧れを抱いていた私にとって、英語の次に利用人口の多い中国語を習得したいという思いは必然的なことで、日本の大学に進学しようと思っていた時期も第二外国語の専攻は中国語だと決めていました。しかし所詮は大学の専攻。経験したことのない私が言えることではないのかもしれませんが、第二外国語として中国語を学んだところで、4年後流暢に話すことができるかといえばそうではないだろうと思い中国語圏である台湾進学の道を選びました。それに加えて、日本語ではない世界で生活してみたいという気持ちがとても強くありました。台湾に来て半年が経ちましたが、自分の考えや気持ちを母国語ではない言語で伝えることは本当に難しいし、伝わらず「は?」と言われることは想像以上に辛いけれど、伝わった時の嬉しさは味わったことのないものでした。言語習得の面白さはここにあると私は思っています。また、なぜ中国ではなく台湾だったかというと、私の場合、知り合いの先輩が日本にある台湾予備校を通じて進学していたことがあり台湾への進学となりました。これは付け足しになってしまいますが台湾は中国よりも親日国であり、比較的治安の良い、日本人にとって住みやすい環境も台湾進学を後押しした理由でもあります。

2.国際経営・貿易学

日本の大学を目指していた時、私の志望学科は国際教養学科でした。国際教養とは「国境を越え,地球市民として,国際社会に活躍できる知識と学問を身につけ,主体的に行動できる力を養うための教育」と定義づけされています。世界のあらゆる国際問題について考え、それを行動にうつしていく。当時私が大学で学びたいと思っていたことは間違いなく国際教養でした。しかし、正直なところそれはとてもアバウトなもので、志望大学が関東の大学だったので受験費等金銭的な頼みも踏まえて両親に志望校と志望理由を伝える時は、バチバチに喧嘩をして最終的には泣きながら渋々承諾を得ました。きっと私の反抗的な態度のせいもあったのですが、両親からの「なんでその大学なのか。そこに行って何をするのか。」という質問に対して自信を持って答えることができなかったのです。自分でもなんとなくいいなと、自分にあってそうだなという理由だけで選んだものだったので核心を突かれた瞬間でした。その後もう一度自身と向き合い考え直した結果、世界の人とモノを流通させる貿易学を学びたい気持ちと一緒に、日本ではなく海外で経営学や貿易学を学びたいという思いが強くなっていました。それは将来海外で働くことを考えたときに、日本外でマーケティング・アカウンティングを学ぶことはいずれ必要になると思ったからです。ちょうどその時期に台湾進学予備校のパンフレットを手に入れて興味本位で読んでいたところ、ドンピシャで私の志望学科があったので台湾進学を視野に入れ担任や両親の承諾を得てから進学を決断しました。

3.異文化・異宗教の環境

将来は海外で働きたい、世界で活躍する人間になりたいと高校時代考えていた私ですが、それまで一度も海外に行ったことはありませんでした。留学経験は勿論ないし、異文化交流やホームステイの受け入れ等も全くやったことがありませんでした。小学校4年生から高校までずっとバスケと勉強しかしてこなかった自分に少し後悔しています。そんな私だからこそなのかもしれませんが、私は文化の違いや宗教の違いにとても大きな関心を抱いていました。同じ地球上で生活している人間なのに国や地域によって生活や文化がまるで違う、宗教が違えば考え方が異なる。考え方が違うから価値観や正義が異なるし「正しいが一つ」ではない。このことが私にはすごく面白く感じます。考え方や価値観の違う人と同じ空間で生活することで、日本にいては気づけないことや新しい発見がある。何より自分とは異なる価値観に触れてみたいと思いました。これは「台湾」を選んだ理由ではありませんが、海外大に進学したいという一つの重要なポイントでした。

4.「みんなと同じ」の違和感

私が通っていた高校は毎年有名国公立大学の合格者を多く輩出するいわゆる進学校です。中学生の時、制服の可愛さと伝統ある校風に憧れを抱き猛勉強の末、無事志望校だった母校に合格しました。高校に入学してからは大好きなバスケットボールと勉強を高校で出会えた一生の友達とともに切磋琢磨した2年半を過ごしました。私が自分の中の違和感を感じ始めたのは高3の夏、部活を引退し本気で受験勉強を開始してからでした。志望校選び、センター試験に向けての毎日の勉強、日に日に上がっていく周りの受験への意識。周りがセンター一色になっていくのと同時に私の抱いていた小さな疑問は消えませんでした。みんな同じ合格という目的のために、センターで点を取るために、ひたすら勉強をしている自分が、自分自身気持ち悪く感じていたのは事実で、小さい頃から「周りと同じことをみんなで一緒にしている」自分が気持ち悪いと感じてしまい好きではなかったことと、センター試験自体に対する率直な疑問、日本の大学に行った後、周りに埋もれて成長している姿を想像できなかったことが海外の大学(結果的には台湾の大学)への進学につがりました。海外の大学に行くことは決して簡単ではないし人一倍苦労することはわかっていましたが、当時はそれ以上に大多数の人間と同じレールに乗ることの方が私を不安にさせる要素でした。日本の大学が〜というわけではなく、そこに身を置くことでの自身の成長率は高くはないな気づいたということです。ずっと不自由のない生温い環境に身をおいて何になるのか。周りに埋もれて得るものはあるか。人と違う道を進むことで見える景色は必ず私を強くしてくれると信じて私は海外大学への進学を決めました。


以上が私が台湾進学を決めた理由です。

決して誰かを批判したり批難しているつもりはありません。上記でも書いたように価値観は人それぞれで、「これが正しい」というものはないと私は信じています。私は自分で台湾の大学に進学することを選び、それが「正しい」と、「自分を強くする選択であった」と今思っているし、4年後10年後30年後の自分もそう思えるように今いる場所で努力をし続けます。

偉そうに書いていますが私は基本的に継続ができない人間です。自分で何かを決めてもそれを長いこと続けることが苦手です。ダイエットだって食べたい欲には負けます。家計簿だって2ヶ月目は記録していません。せねばせねば〜思ってまた始めるの繰り返しです。唯一頑張り続けていることはバスケと中国語で、バスケはただ好きなだけで約10年間続けています。中国語に関しては、頑張らないと台湾では生きていけないので一概には言えませんが、より話せるようになりたい、上手くなりたい、ネイティブに近づきたいと思うのは語学が好きだからなのかなと思います。流暢に話すことの憧れと同時に、人と関わることが好きで、楽しく話をしたいと思う心は中国語を学び始めてからずっと冷めないでいます。中国語と反比例で学習意欲も能力も急降下し続けている英語も中国語と一緒に継続しています。絶賛英語嫌だ期ですが、、。

noteに書き留めていくことで自身への戒めの意味も込めています。自分は何者なのか、今やっていることは果たして意味のあることなのか、将来私は何をしているのか、甘々な自分がクソほど好かん、みたいなのが私の頭の中にはよくあります。でもそれも全部含めて自分で、これが私なんだと受け入れてあげないといけない。だけど自分はこうだと「決めつけ」たらその先には多分進めないから、受け入れてまた変えていかないといけないのだと思っています。弱々なあまちゃんの今だからこそ、恥やショボいプライドを捨てて前に出ることが今の私に必要なことだとわかっています。最近はなんでもまず動くことが一番です。相手がこう思うかな、申し訳ないなあ、、あとで大変だな、と考えるのは私の癖なのでそれらが考えに追いつく前にまず動いて強制で物事を進ませます。案の定苦労することもありますが圧倒的に動いてよかったと、過去の自分よくやった!と自分が本当に好きになりました。

台湾での大学生活の半年が過ぎ、二学期目が始まりました。言語習得も人との繋がりも、勉強も勉強以外の経験も、全て自分次第でどうにでもなります。台湾という「自身の選択と挑戦への寛容な環境」で生活できている今だからこそ、たくさんの経験と知識を積んで将来の選択肢を増やしていきます。

数年後大学を卒業する時、今より何倍も成長して、台湾進学をしてよかったと心から思えるようにここ台湾で今を全力で丁寧に生きます。

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