美しい女、というものに憧れている。


たかだか20の女の戯言だと思ってほしい。

皆は美しい女と言えば、誰を思いつくだろうか。
石原さとみや新垣結衣、中条あやみか。長澤まさみも捨てがたい。
それともワンピースのナミや、けいおんの秋山澪。綾波レイだったり峰ふじ子も。Fateのアルトリアと女王メイヴだろうか。
勿論、美しい。皆、美しすぎて泣きたくなるほどの女性たちだ。
彼女たちに近づこうと血眼になる人たちを沢山見てきた。
その努力の末に、全てを嫌って目の前からいなくなる人たちも、何度も見た。

私は、美しすぎるものは近くで見たくはない。
綺麗な部分だけを切り取り、飾り立て、愛でることも烏滸がましいとわかりながら、そのたった一部を大切に抱いていきたい。
綺麗なものは綺麗なままの印象で、ずっと保たれていてほしいのだ。
もし近くなるような出来事があれば、恐れ戦きそこから全力疾走で距離を取る。
それが私の中の”美しい”という定義である。


しかし、その定義が揺らいでしまった。
というのも、最近その”美しい”女性というものに悩んでいる。

私にとっての憧れは遠く手の届かない場所に位置して欲しいというのが正直なところで、絶対不可侵領域のような、聖域のようなイグジステンス(ちょっと使ってみたかった)が条件となっている。


さて、私の中の好きな女性の話をする。
距離をとって、キラキラした輝きを私が一方的に信仰したい女性。

それは、姉だ。

拍子抜けさせてしまったのなら申し訳ない。
しかし、私は世界で一番姉が美しいと思っている。
姉は二人いる。共に美しく、可憐で、強かな女である。

長女と次女の、いや、私の美しい女のことを話したい。
もし時間があれば付き合ってほしい。
ただの姉自慢であるから、鼻をほじりながら聞いてもらっても構わない。
この表題では今から記すことは完璧な蛇足だ。
しかし私のこの熱を冷ます為に、どうか語らせてほしい。


さて、彼女がいるだけで、空気がガラリと変わるのが、一番上の姉である。
天真爛漫で、他人に興味がなく、自分が楽しければだいたいOKの彼女も、今年で29だ。
歳をとる度に美しさを増している。
キラキラして、華やかで、もう大好きである。
アパレルで働いているおかげが、いつまでもオシャレで若々しい。
いや、29歳に若々しいと言うのは間違っているな。瑞々しいのだ。
第一に顔がいい。目はぱっちりとしているのに、笑えばへにゃりと形を変える。
顎のラインがとてもきれいで、ニキビは一つもない。
たまにできたとしても一つや二つで、暫くすればスッキリと綺麗な肌になっている。
スタイルも素晴らしい。女性にしては身長は少し高めで、服装映えする165cmだ。ヒールを履きこなし、トレンドやメイクアップも楽しんで取り入れる。
ボブになった髪型も、とても綺麗で似合っている。
長女は、自分のペースに巻き込むのがとてつもなく上手い。
そして巻き込まれているこちらは、全く嫌な気がしないのだ。
まぁ嫌な人は離れていくのだから、当然といえばそうなのだが。
独特のワールドを持つ彼女は、芯が強い。
西日本で売上No.1の店の店長を務める彼女は、強くならざるを得なかったのかもしれない。今は5店舗をみていると言っていたし、私は彼女が体を壊さないか心配だ。
私は長女が泣いた姿を殆ど見たことがない。
もしかしたら、長女は強くあれ、と思いながら生きているのかもしれない。
多分、彼女の弱い部分を預けられる場所を必要としていた。
だから、旦那さんには感謝している。彼はおおらかで、楽しむときは楽しむ人だ。
結婚式での花嫁の長女は、本当に、本当に美しかった。
笑い合う姿が、綺麗で、繊細だった。
…本当は、妹の私にも。うん。何でもない。
いつか二人でご飯に行きたい。
でも誘う勇気がない。何を離せばいいのか、全然わからない。
会話が途切れてしまったら、私はきっと空回りする。
私はずっとその美しさの秘訣を聞けないままでいる。

誰にでも気配りができ、色気のある仕草や言葉遣いをしているのが次女だ。
彼女は一番私を気にしてくれていたし、やりたいことも全部応援してくれていた。
26歳の彼女は、品がある。顔立ちも、瞳がスッキリとして、白と黒のコントラストが果てしない美しさを生み出している。笑った時の、歯並びが綺麗でとても好きだ。艶やかな黒髪は、こちらをドキリとさせるし、泣いてしまった時の腫れた瞼は可愛い。
数年前、彼女はいわゆるブラック企業に勤めていた。
一年で辞めたが、一ヵ月の残業時間は100時間をゆうに超えた。しかし見込み残業なのでサービス残業だ。だから心が壊れる前に仕事をやめた。
今はパートをして、彼氏と仲睦まじく暮らしている。お腹に新しい命を宿して、のんびり暮らしている。
どんな人でも理解しようと努力する彼女が好きだ。自分のことのように喜んだり、悩んだりしてくれる。
彼女は彼氏がいない期間がとても少ない。モテるのだ。
放っておけないと思わせるのが上手い。聞き上手なのもあると思う。
気が付けば、自分ばかり話している。私の意見を否定せず、しかし簡潔に分かりやすい意見をこちらへ与えてくれる。
ゲームや漫画が好きな彼女は、オンラインでよくゲームをしている。
その時の真剣な表情といったら!もうキュンキュンものである。
時間を忘れて、楽しみ、喜んでいる姿が美しい。
当然だが、恋人を見る目と私を見る目は違う。
それに諦めに似た感情が生まれた。
彼女は恋に生きる人なんだと、その美しさに酩酊した。
嬉しそうに恋人のことを話す表情も、綺麗で、私がうっとりしてしまうのだ。
そして馬鹿みたいに今更、見ている世界の違いの大きさに呼吸が止まり、私の中の幼い部分は声を上げて泣いた。

彼女たちへ抱く憧れの域はいつまで経っても消えないまま、私は成人してしまった。
自分自身がどこまででもいける権利を有してしまった。
美しいものは遠くから見ていたい。
しかし姉妹という関係は近すぎて、眩しすぎる。
私に何かあれば、すぐに駆けつけてくれるのだろう。
私たち家族は仲が良いのだから。
けれど、仲良くなればなるほど、綺麗な部分だけを大切にすることが難しくなる。
会えないくらい遠い場所に行って、美しさを切り取れるくらいの生活が出来たら、私はきっと満足して幽霊宜しく成仏する。
けれど彼女たちから逃げてしまいたい自分と、
妹としてずっと近くにいたい自分がせめぎ合っている。

美しさは冷たい。
冷たいから美しい。
だが、妹の私はその美しさに温度が欲しいと泣いている。
でも、美しいものには、美しいものしか近づけない。
温度をもった途端に美しさが私を認識してしまう。
そんなの駄目だ。私は美しくないから。
美しいという言葉は、今の私には勿体なさすぎた。
それこそ全身を隠して、裸足で逃げるくらいに。

でも、妹の私を否定するのは出来なかった。
だって、今までの私だ。
彼女たちに愛された妹の私を、どうやって否定されようか。
美しさが愛したものを、この私は否定できない。


だから私は美しくなることにした。


何年後かはわからない。
けれど美しくなることにした。

スキンケアやジム通いは勿論、ペン習字や慣れない読書だって始めている。
憧れが身近にあるということは、自分のすぐ後ろに劣等感が存在しているということだ。少なくとも私はそうだ。皆が皆、そうではないから一概に言えない。
化粧品の勉強をして、料理も少しずつ覚えるようになった。
猫背を直し、ゆったりと歩き、次になにがあるかとわくわくしながら眠りにつく。


美しいものに近づけるのは、美しいものだけだ。

美しいものが近づいてきたとき、足が竦まないように笑っていられる美しさをもつ。
それが私の死ぬまでの目標だ。

私は、姉たちが好きだ。
姉の美しさも、そうでないところだって本当は大好きである。
だから、妹の私が否定されることはなかったんだ。

いつか自分の意思で、彼女たちに触れられる美しさを手に入れる。

そんな戯言を今もずっと考えている。

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