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ひとつずつ積み上げること


ひとつずつ積み上げること。

泥臭くても、それは確実に重みが出てきて、前より少し遠くの景色が見えるようになる。

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2018年10月4日、「ひとつまた自分の中に積み上げたなあ」と振り返るタイミング。ちょうど一年前の2017年10月5日は、ヨガとの生活が本格的に始まった時だった。ひょんな出会いから、ヨガインストラクターの養成スクールに通い始めたのだ。たまたま同じ新幹線で帰阪した、たまたま同じ地方のツアーに参加した彼女との出会いはとても大きい。「実はね、」というなんでもない会話から、それこそトントン拍子に、新大阪につくまでの間にはもう、一緒の養成学校に入学することを決めていた。

ヨガをちゃんと認識しだしたのは、オーストラリアに留学時代、キャンパスの芝生でヨガをしているのを横目に見て、気持ちよさそう〜、と思っていた頃かなと思う。その時は別に、参加するでもなく、単なる「よさそうやね、ヨガって」という程度やったんやけど、1年後に帰国した時、渡航前から+8kgという増量を果たしたことに改めて危機感を感じ、近所のbookoffでヨガのDVDを買った。それが私のはじめてのヨガだった。

1日1時間という日課ができてきて、意外と体がスッキリすることを実感しつつ、はよ痩せろーと思っていただけやった私に転機が訪れたのは、就職し、プログラマの生活が始まった頃。大学時代は毎日30分の登山、30分の下山をせざるを得ない状況やったにも関わらず、一気に椅子に座って動かない生活スタイル。肩こり腰痛、PCと肩こりからくる目の疲れや頭痛。どんどん身体が悪くなっていくー、、、という不安に、何かせなやばい、と思った。

平日毎日は時間が取れなかったけど、素人なりに、土日にちょっとヨガをしてみるだけでスッキリするような気がして、もっと本格的にちゃんと学びたいなあと思い始めた。

同時に、たまに家で一緒にしていた母親や祖母が年齢や痛みを理由にヨガは無理やわ、と諦めていたのがなんだか切なくて、ちゃんと学んで、体に痛みがある人や、年配の人にも安全に、快適に楽しみながら、できるようにサポートができたらいいのに、という気持ちもわいていた。

そんなことを思っていたタイミング。
これは行くしかないやつ、という、これまた「直感行動力」で、動き出した。

日中は仕事、仕事が終わってから学校、という生活が始まった。正直学校は課題とテストでしんどかったけど、学ぶごとに、やっぱいいやん!という実感があって、そこに通わなければ知り合うことのなかった先生やクラスメイトとの出会いも素敵だった。

12月末、ベースの資格を無事に取ることができて、晴れてクラスでヨガを教えられるようになったけど、ここからが本当に学びたかった本番で、「シニアヨガ」の専科コースが始まった。シニアヨガでは、ご年配のかたや、病気や障害を抱える人でも安全に、快適にヨガを楽しんでもらえるように誘導するすべを学ぶ。家にあるような物を使って、無理なくアーサナ(ポーズ)を取ることができるようにしたり、言葉づかいや見せ方など、ベースのものからプラスアルファして、より「相手をみる」ということを学んだ。

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1年経ったいま、無事にシニアヨガインストラクターの肩書きもできた。とはいえ、別にヨガで食べていこうという気はなくて、あくまでヨガはツールでしかないと思っている。

ヨガインストラクターの資格をとりたい、と思ったのには実はもう一つ理由があって、色々な土地で人に出会うたび、じゃあ今度これをしよう!このイベントに一緒に出よう!という話になった時に、自分がみんなに提供できるものが無いのがもどかしくて、いつか私も「これができるから一緒にやろう!」と言えるものがほしかった。そのための一歩がたまたまヨガだった。

「ヨガ」というのは、サンスクリット語で「繋がる」という意味の語源「ユジ」から生まれたもの。

ヨガの哲学では、「無知が除かれて知識が現れること」をヨガと言っていて、その実践によって瞑想的な、悟り的な状態に至るための道具としてとらえられている。(そのあたりのことはヨガの聖典と言われる書物があって、とてもややこしいので興味のある人はぜひ本屋さんへ。笑)

私のいう「ツール」というのは決してそういった哲学世界の話ではなくて、単に人と人とが出会ったり関わったりする場やきっかけづくりとして、私にできる一つの手段じゃないかな、ということ。

ヨガの基本は呼吸法と言われているけど、ちょっと呼吸を深くしてみる、それを通して、ちょっと「今ある自分」に目をむけてみる、座っている時や立っている時に地面に根付いていることを意識してみる(力のベクトルを感じてみる)、というような少しのことで、なんとなく、自分の心がざわざわした時に「起点」に戻ってこれるような気がしていて、きっとそれは他の人にも感じてもらえるヨガの「効果」なんじゃないかなと思う。
レッスンで先生が言っていたことばで好きなのがあって、「やわらかい表情は、やわらかい筋肉から生まれる」というのはなんかいいなって思う。
人と人が集う時、きっと引きつった表情よりも、やわらかい表情の方がよくない?きっと初めましての場で緊張感があると思うけど、それが少しでもほぐれたらよくない?

まだほとんど実践したことはないけど、そういう面で自分の持つ「ヨガ」というコンテンツを場づくりやコミュニティづくりに活かしていけたらいいなと思う。と言ってもそんなたいそうなことはイメージしていなくて、ほんとに、ちょっと身体が軽くなったな、とかスッキリしたな、とか感じてもらえて、ハッピーな素敵笑顔の人が増えていったらいいなって思う。それが繋がっていく先が、人と人が素敵なコミュニティになって何かワクワクするような化学変化が起きるような空間だったら、なお嬉しい。

何にしても、まだまだみじんこの段階。自分自身も楽しみつつ、ちょこっと誰かが生き生きしていくきっかけとして、私がヨガで何かできたらいいなと思う。

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まとまりのない文章やけど、今日(ひとまず一区切りの)最後のレッスンを受けてきて、なんとなく書き残しておきたかったから。

もし何か挑戦させてもらえる機会があれば、頑張りたい、そう思う今の私です。

明日もやわらかい表情で、素敵に過ごせますように。
駄文にお付き合いくださったみなさま、ありがとう。



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