見出し画像

The end of their life. 144   藤 圭子

The end of their life. 144
 
藤 圭子(ふじ けいこ)
(1951年7月5日-2013年8月22日)
歌手。
岩手県一関市生まれ。
 
浪曲師の両親の元に生まれる。一緒にドサ回りをし、圭子も歌っていた。
 
15歳の時に地元の歌謡大会で歌っているところを作曲家・八洲秀章の目に留まり上京。しかしすぐに花は開かず、母と浅草や錦糸町で流しをして生活していた。
 
作詞家の石坂まさをと知り合い1969年、『新宿の女』でデビュー。
 
夜の世界に生きる女の情感と哀切を、ハスキーヴォイスで歌いきり、その可憐な容貌とのギャップも相まって一世を風靡する。ファースト・アルバム「新宿の女」は20週連続1位、セカンド・アルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。続く『圭子の夢は夜ひらく』も10週連続1位を記録した。
 
アイドルとしても少年マガジンなどの雑誌の表紙を飾った。
 
1971年、内山田洋とクール・ファイブの前川清と結婚。翌1972年に離婚。
 
1982年に、宇多田照實と再婚。1983年1月19日、ニューヨークで娘を出産。網膜色素変性症を患い視力が徐々に低下していたので、「我が子から光が失われないように」という願いを込め「光」と命名。
 
1998年、光が15歳で宇多田ヒカルの名で歌手デビューする。ファースト・アルバムが1カ月で500万枚を超え、史上一位の記録をつくる。自身はすでにほとんどステージで歌うことはなかったが、娘にR&B を教え込んだのは圭子だった。
 
2002年、宇多田ヒカルの結婚を機に、全ての縁を断ち切るようにして世界を放浪し始める。06年にニューヨークの空港で、多額の現金(5000万円)を所持していたため引っかかる。「旅をした5年間で5億円を使った」と自ら語る。照實とは6度の結婚と離婚を繰り返した。
 
2013年8月22日午前7時頃、東京・西新宿の自宅マンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。62歳。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?