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自己満足の親孝行

そんなんしてどないするん
(意訳:そうする事に何の意味があるの?)
が、口癖の父(笑)

今回の鳥取旅
本来、私が叶えてあげたかった目的は果たせていません。

でも、この旅に意味はあったと思っていますし
将来的にはもっと、意味があったと思えると信じます。

父にとっての鳥取に行く【意味】とは。

.゜。:+.゜。:+.゜。:+.゜

私がまだ幼稚園の頃、実家の近くに住んでおられて、
私が小学2年生の頃、鳥取県に引っ越されたご家族があります。

そのご家族には、私の1つ年下の女の子がいて、ご両親はお仕事がとても忙しく、
おばあちゃまが、その女の子のお世話をされていました。
うちの親と、そのおばあちゃまの間でどういう経緯があって仲良くなったかは、私はまだ幼かったので知りませんが、
ご近所で歳も近いということで、その女の子は我が家に毎日のように遊びに来るようになりました。
末っ子の私は、
妹が出来た嬉しい気持ちでいっぱい。
毎日その子が
「みーわっちゃーん❤あーそーぼー」
と来てくれるのが本当に嬉しくて楽しみでした。

元来、ほっとけないたちのウチの両親は、おばあちゃまの話し相手でした。
色んな相談事も聞いていたようですが、子どもの私はそんな事はどうでも良くて(笑)
ただただ、その子と遊ぶ日常がとても好きでした。

おばあちゃまは女の子と一緒に我が家にいらして、
一緒に食事をしたり、
もちろん、私がその子のお家に遊びに行くこともありました。
手づくりのポテトチップスを揚げて食べさせてくれた時は、「家でポテトチップスが作れるの!?」と衝撃で、
あの時の光景は今でも覚えています。
それが、何歳の頃だかは、覚えていないけれど。

私が小学校2年生の頃、そのご家族はお父さんの転勤で引っ越すことになります。
その先が、鳥取県岩美郡の浦富だったのです。

当時、それを知った私は本当に寂しかった。
ご家族が、車で出発される光景も、覚えています。

お引越しされてからも、おばあちゃまはその子を連れて夏休みやお正月には宝塚へ遊びに来られました。
やがて、その子には妹ができ、おばあちゃまは孫ふたりを連れてはるばる鳥取からいらっしゃいました。
けれどもやはり、体力的にも大変になり、年2回の来訪は1回になり、2年に1回になり…
次第に会う回数は減りました。

それでも、母が生きている内は
電話で話相手になっていたようです。
しかし、母が体調を崩し、他界してからは、ほとんど連絡も途絶えていました。

私は私で、その姉妹とは付き合い続けていましたし
2人とも関西へ出てきて働いていましたから、
おばあちゃまには会えずとも、そのご家族との縁が切れてしまった訳ではありません。

けれども、
父の中ではずっと、気になる存在であったことに違いありません。
「こちらから、行ってあげないとあかんなあ」
と、口では言うものの、仕事や日々の生活に追われなかなか実行には移せずにいる父を見ていました。

会いたい人には、会える時に会っておいたほうがいい。
私はずっとそう思いながらも、なかなか父の重い腰を引っ張ってあげることが出来ず
今回やっと、そのタイミングを作る事が出来た
という訳です

.゜。:+.゜。:+.゜。:+.゜

そして、話は始めにもどり
父の口癖
「そんなんしてどないするん」
です。

鳥取旅行計画を発表した当初は
父も喜びました。
素直では無いので(笑)
へぇーーー行くの?😅
という感じでしたが(笑)
私には嬉しい気持ちは読み取れました(笑)

けれども
厄介なのがコロナ禍。

おばあちゃまは、現在病院に入院中。
面会が出来ないのです。

それは分かっていたのですが
それでも、私は、
鳥取まで行くことに意味はあると思って計画しました。
おばあちゃまには会えなくても
ご両親にお会いしたらきっと喜んでくださる
きっと、おばあちゃまにもそれは伝わる
そして、コロナ禍が落ち着いたら、今度こそきっと会える。

でも
父は言いました。

「会われへんねやったら、行っても意味ないやん」「何しに行くん」

正直、イラッとしたし(笑)
「じゃあやめよ」(私は行くけど笑)←心の声
とも言いました。
無理やり連れて行っても、
それこそ「意味」ないし
そもそも楽しくないし(笑)
そんなことでは、私の独りよがりになってしまうので、
それなら私だけで行けばいいわと
父が変わらないなら自分の考えを変えようとしていましたが

姉たちが
「何も理由なんてなくても、行ったらいいやん」
と言ってくれたことで
父の曲がってたヘソが、こっちを向き直してくれたというわけです(笑)
私がいくら同じことを言っても聞かなかったのに、やっぱり姉たちの存在は、
父の中では私とは違う何かがあるんやな、と感じました。

行くことには決まったものの
それはまあ、当日まで色々また一悶着どころか二悶着三悶着ありましたが

結果、良い旅でした。

おばあちゃまには会えずですが
ご両親にはお会い出来、想像以上に喜んでくださり
懐かしい場所で懐かしい話をし
変化を感じ
自然に癒されました。
父も、多分同じではないかと思っています。

高齢になるにつれ
生活に変化を求めなくなるのは仕方がないことだとは思います。

父の性格、そしてこれまでの暮らし方、
それはそれでリスペクトしますが

変わってきている世の中や
自分の状況
周りの状況に合わせて
考え方を変えてみる

それも長生きの秘訣になると思うのです。

「意味」のないことはしない
なんて、勿体なさすぎる。
「意味」は作ればいいし
行動すれば、何かしらの「意味」はついてくる。

父の口癖
「そんなんしてどないするん」
は、ネガティブな「どないするん⤵︎ ︎」ではなく
ポジティブにまだまだ人生の楽しみを探しに行くための「どないするん??」に変わって欲しい。

これが、
母を亡くした時に私が経験した最大の後悔を
二度としないための自己満足の親孝行の「意味」であり、

後悔を後悔で終わらさず、良い経験に変えるために
今、私が出来ること
「親孝行は自分孝行」なのです。

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