壁に映る淡い虹 優しく微笑んでる 懐かしい感覚が蘇る 遠くで見守っていてくれた なんて優しいの 言葉よりも胸の中で あたたかい何かが 目を覚ます そのままで そのままで 大丈夫 大丈夫 もう大丈夫 伝えられないから ずっとそばで待っていたんだ 長過ぎた夜 もうすぐ明けるよ 気付いてくれてありがとう 流した涙は 僕たちの心を潤してくれた 君にありがとう 全ては繋がっているって 本当だった 瞳を閉じれば 君の世界 どこにも行ってない すべてはここにある 大切なもの見失っても また
71歳の母に「あんたとは本当に話が合わない」ってブチ切れられた。
自分へ 「いいわけせずに書け」
「マスクするからスッピンでいいや」って家出てからマスク忘れたことに気づいた こーゆー時だけ過去に戻りたい、、
前回の初投稿で燃え尽きてしまった。 文章を書くことを仕事にしてる人って本当にすごい。尊敬する。 とにかくエネルギーが要るし、伝えたいという情熱も必要だし、そもそも語彙力の多さに圧倒される。人生経験も多いだろうし、誰かのお悩み相談を募るほどの人気もある。つまり、自分の考えが確立していて、読者もその人の意見を欲している。 今こうしていくつか挙げてみても、私にはその要素がほぼ0ということをハッキリ自覚した。 では、なぜ私はこうして書き記しているのか。 それは、単なる「自分の
文章書くってノッてる時はいいけど 行き詰まった時しんどいねぇ
毎年10月の終わり頃から、 ” 今年も一年が終わる…早 ” と焦る気持ちと同時に、 ” 来年こそは新しく生まれ変わるぞ!” という意欲も湧いてくる。 振り返っても大して大きな成長や変化を実感できず、 もっと勉強すればよかった。 あの時、資格を取っておけばよかった。 もっと食生活整えておけばよかった。 あっちを選んでおけばよかった。 等々... あの時の、「○○すればよかった。」 が、良き思い出を回顧するよりも遥かに上回る勢いで後悔の念に駆られる。 そして新年を迎え