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ゆっくりと下降する太陽を見つめる暗闇の午後 日報vo.70 2020.11.05

2019年は暗黒の一年だった。

2017年、自分の生活が掌からすべて弾き飛んだような、これ以上どうにもならないというような、お手上げ状態、白旗をあげるしかないという状況に陥り、これが私の「グラウンドゼロ」になると思っていた。

「今が底だ」と。

だけども、転がる石の如く、なす術もなく自分の人生や生活が転がり落ちていって、もはや何が0地点なのかすらも分からなくなるような呆気に取られたまま、ただ時間だけが過ぎ去っていった。

2018年は、まだ元気だった気がするし、振り返ればまだ自分自身や、関係する人たちに対しても、希望を持っていたと思うし、まだまだ自分の人生を軌道修正して再スタートをしようという気概もあり、精力的に行動していた。

2018年は、想像もしない方向から、矢を向けられるような出来事がとても多くて、不当に侵害されたし、尊厳を傷つけられる経験をした。

尊厳を傷つけられる事は、これまでも幾度か経験していたが、それらとは全く別の種類のものであったために、とても衝撃的だった。

人間に対する信頼というものが、2018年の経験と2019年の決定的な出来事によって完全に崩壊してしまったようだ。

人間に対する信頼というのは、自分も含めてだ。

世界に対する信頼が揺らいだという感覚にも近いかもしれない。

2017年はラベルを貼られて、その事によって「話に耳を傾けるに値しない人間」「適当に扱っても誤魔化しのきく存在」である、という認識が相手からうっすらと透けてみえるという経験を初めてした。

それでも、まだ自分自身の向かうべき道が見えていて、それらの事は取るに足らない事だと思って、足を止めずに進み続けていた。

2018年、さらなる追い討ちがあって、完全に打ちのめされてしまう。

向かおうとしていた場所は幻想だったと。

2018年は、新しい出会いの機会もあって、とても素晴らしく温かな人たちの出会いもあった。

しかし、自分自身の余裕の無さや未熟さから、その人間関係の繋がりを育むことが出来ずに、自分から自然消滅してしまった。

2019年は、本当に辛い日々だったかもしれない。

neeとの関係性も壊れてしまって。

何も出来なくなって、自由もきかなくなって。

それでも、家から出る必要に迫られてだが、「旅」みたいなことが出来たことが、2020年が始まって突然始まった外出自粛の時期の心の支えになっていた気がする。

「旅」と言っても、自身の生活や、健康もままならない状況下での、茫然自失の放浪ではあった。

身に着けるものから、名前や肩書きや、髪の毛や歯も全て抜かれるなど、全てを奪われ、外に放り出されているのに、鎖はしっかり繋がれている、という絶望的な状況での「旅」だ。

側から見れば、「責任を放棄して、遊び歩き、好き放題している放蕩者」にしか見られず、実際そのことで侮蔑の言葉を浴びたりもしたりした。

2020年は、私には全てを奪われて破壊された人生しか残ってない、という事をようやく自分の中で理解できた、という感じである。

周りからは、決してそのように見られないし、私がどれだけ説明しても理解されないので、私自身も流されてしまいがちだったけど。

自分にとって、出来ることと出来ないこと、やりたい事とやりたく無い事が、ほんの少しだけ感じることが出来てきた気がする。

そして、自分にとって「出来ること」「やりたいこと」をやろうとする時の、なんとも言えない罪悪感や、周囲からの視線や反応を過剰に感じ取ろうとしている事にも。

共感なんて必要ないけど、理解してもらわない事には先に進めないことも沢山あって。

先に進めないどころか、先方の納得のいく説明をしなければ、私自身の生死に関わるようなジャッジが簡単に下される状況に阻まれていたり。

それでも、neeと生きていくためには、この深い沼の底に浸かりながらも鷹揚にしていなければならない。

侮蔑されて後ろ指をさされて嘲笑されながらも。

「お前はピエロだから、何をされても黙って笑っていなければならない。けれどもピエロらしくないからピエロとは決して認めない」



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