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SNSで英語を学ぶ

私は、このnote への記事投稿も含めSNSを日々運用しています。ここで書いた記事も𝕏 内(@GattaMiINA)で拡散しているし、英語について(@egenc_mina)のアカウントで投稿しています。そのために、英語学習中の一部の方達のアカウントがおすすめ欄でたまに目に入ります。

そこで度々頭をよぎることは、SNSで英語を学ぶことを最大限活かせている人はどれだけいるか?ということです。

ぱっと見た感じ学習意欲が高い人も多そうですが、大体は日本人の勉強仲間達と交流したり、英語系インフルエンサーをフォローしている人が多い傾向にあるように見える。

英語を身につけるには、習慣化が大切なのでそれは別に悪いことではありません。いちお、簡単に何かしら英語関係のことが目に入るはずなのでその点は良いこと。しかし、それらの人気投稿の中には非常に日本人的な感覚の物が多く見受けられる。そして、英語圏の文化や感覚を取り入れず非常に狭い考えのもと、この表現こそこういう時に使うということを拡散している。そのような短絡的なものを好んで見ている人も目立つ。

なぜ、こういう短絡的なものの人気が上がるかといえば、非常に親しみやすく分かりやすく感じるからだろう。しかし、日本文化圏で生きてきた人が好み、気分よく感じるということは非常に平均的な日本的感覚であることを意味する。

と、いうことはそういうものばかり見て表現を暗記して使っても外国人の文化を理解していないために向こうからすれば異様におかしいコミュニケーションに感じられる可能性が高い。

よくあるのは、文法的には間違っていないのだがなんか変だな?と思い相手からすればその部分が心に引っ掛かかってしまい話が入ってこないとなってしまうことだ。しかし、相手は英語教師でもなく円満な人であれば、いちいち指摘はせず距離を置かれるのが実態。私はそういう感じの日本人を多く見てきた。

日本的感覚のSNSやインフルエンサーばかり見て英語を覚えた人はこうなってしまう可能性はかなり高い。

なら、どうすれば良いだろうか?

自分に心地よいコンテンツは好きだから見ているはずだ。その感覚を一度疑ってみることが最初の一歩だと思う。見聞きするのは良いが、その心地よさのみに操られないようにする努力が必要に思う。

日本の文化と世界の文化は色々異なっている。
中には慣れて冷静に解釈しないと理解できないものもかなり多い。実際にこういう人達が英語という共通言語を使いコミュニケーションをとる実態がある。

英語をツールとして使いたいなら、継続するために心地よい感覚がするものを見るのも大事だが、たまには真逆の感情を持つものも受け入れないとまずい。

異文化の人とコミュニケーションを円滑にするにはこの努力は避けて通れないのだ。

まず手始めに、誰でも良いのでSNS内にいる英語圏の人の投稿をフォローしてみることだ。当然、彼らの言語は全部英語なので英語慣れには抜群。おそらく、日本語圏の人のSNSだけ追って学習している人は違いがすぐに分かり新鮮だろうと思う。

最初は、好きな俳優やミュージシャンや興味がある人で構わない。あと、好きな分野の何かでも良いだろう。

そうして、それに慣れたら今度は自分があまり好まないものも見てみることだ。フォローしなくてもリストに入れるだけでも良いし、チラ見でも良い。心理的に拒否しない努力をするのが大切だ。

心地よく感じないということは、感覚が違う可能性が高いことを意味する。自分が知らなかったことが溢れている可能性が高い。それも学びのひとつである。

心地よいものだけ見ずに、心地悪いものも同時に見る。そして、なぜその心理的差が生じるかをしっかり分析し、違いを咀嚼して自分と照らし合わせてみる。その後、その感覚を一度は否定せずに違った方向から見て相手側にたってみる。

異文化間のコミュニケーションを行う人は、この苦難を乗り越えている。なので、SNSをそのように運用することは実社会のコピーを意味する。

道具としての使える英語を身につけるためには、このような運用をすると疑似体験が少し可能なはずだ。

SNSで英語を学ぶ時には、心地よいものだけ見ないという努力も大切と書いておきたいと思った。

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