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演劇のすすめ

英語が口から出てこない人は大体はアウトプット不足、言い換えれば練習不足といえます。

知識を詰め込んでも、アウトプットがそれについていっていない。

それは何でだろう?と考えた事もあります。

私は日本の大学時代から本格的に“使える”英語を身に付けたいと思っていたのでたまたま開講された英語の特別クラスに入りました。そこでは、ネーティブの先生が来るときいていたからです。

そのクラスに集まってきた子達は、英語の成績が割と優秀で尚且つ喋れるようになりたいという意思がある子が殆どでした。

私はいい機会だと思ったので、例の如くノリよくネーティブの先生に話しかけて向こうのテンションに合わせていたので名前も覚えてもらえました。

私のnoteを読んでくれてきている人なら知っていると思いますが、私が空気を敢えて読まず全く恥を感じない。周りを気にしていないから出来た事なんです。

何熱くなってんのかと、寒くて恥ずかしいとか笑われたり陰口叩く人もいましたけど、何言ってんのかな?そっちがバカだろほっとけよ。と思いながらスルーしてこれた事に尽きます。

大部分の人たちは、折角ネーティブの先生と話す機会があるのに積極的に絡まないし、喋っていても小さな声でよく分からない人が殆ど。

みんなで発音練習する時も大きな声で練習しない人の方が多かったです。

私は当時仲良くしていた子に聞いてみた事があります。そしたら、その子の話では

「“普通の”子はみんなの前で大きな声出すのは恥ずかしいよ。それに間違えたら恥ずかしいと思って出来ないんじゃない。イクちゃんみたいにみんな出来ないよ」

との事でした。

だけど、事実として語学なんて間違えながらでも口に出した方が自然と上手になるし慣れないうちは失敗も当たり前。

それにそもそも聞き取りやすい音量で発音しなければ何言っているか聞き取ってもらいにくいから修正もしてもらえないんです。

コミュニケーションもとれないですよね。モゴモゴ口の中で言って尚且つ言葉少ないようでは…

だけどよく考えたら私も人前では緊張して発言出来ない子供で無口だった過去がありそれを矯正して平気になったな。とその子の話を聞いて思い出したんです。

要は全て慣れなんです。

人に何言われようが笑われようが別に殺されるわけじゃないし平気なわけです。

私が自分を変えたくて学生時代にやってた演劇が私に人前で大きな声を出しても平気という慣れを作ったのを思い出した。

だから、英語をマスターしたい人は演劇を始めるというのも一つの手と思います。

演劇は人前で演技という表現をし、見せるというのが目的。自分達が舞台に立つわけですから、恥ずかしがっている場合ではありません。

そういう人ばかりなので、人前で大きな声出しても笑われる環境ではない訳です。演出、装置、脚本以外はみんながそうなので、寧ろみんなの前ではっきりと声を出さない方が変な環境なんです。

演劇部の時は、お腹から声を出すための発音や発声練習の時間がありました。

体育館の裏で、遠くを見ながらそこに届くように滑舌良く話せるように声の出し方をみんなで練習したりもした

濁音や擬声音を分かりやすく観客に届ける練習をしようと、励んだ事もあります。それをうまくやろうと思うと、日本語で存在しない音を出す練習も行うことになります。例えばあとえの中間音など。(今考えたら、これって英語発音にすごい役立つなって…笑)

あとは毎日の早口言葉。

みんなで気持ちよく舞台で取り組めるようにコミュニケーションも活発でした。例えば、会ったら目を合わせて「おはようございます」と挨拶し合うとか色んなルールがありました。

コミュニケーションが円滑に取れなければスムーズに演じる事が出来ないからです。(チームワークが乱れるため)

こんな事を習慣にするうちに人前で喋ることには緊張しなくなりました。コミカルな役を演じた時は恥ずかしさも多少はあったけどそんな事考えてる場合じゃなくなりました。

めちゃくちゃ笑いが起きたし、一瞬恥ずかしいと思ったには思ったけど別に生きてるし大した話ではなかった。気付いたら没頭しててすっかり忘れてました。(というか、そうしなきゃ演技が進まないですよね 笑)

「よく生田さんってあんなの出来るよね。」とか言ってた人も複数人いて耳にしたけど、その反面褒めてくれた人もいたし、それに満席で尚且つ最後まで出来ただけで目的果たせてるわけだから、問題なんてないわけです。

私が入っていた演劇部だって、大きな声での発声や発音を行なっているのが周りに聞こえていて

「あんな事してる人達あり得ない。よーやるわ。」とか言う人達もいるし、知っていました。

だけど、一度演劇部の中に入ってしまえばそちらの方が日常なわけです。

むしろ滑舌悪かったり聞き取りにくい声の方が問題だからその為にみんなで練習しているわけでそれが普通なんです。恥ずかしいとか考えてる人なんて誰もいません。

むしろ、恥ずかしいとか考える人の方がそこでは恥ずかしいんです。

“普通の感覚”なんて事は環境によって変わる非常に曖昧なもの。

自分が慣れているもの違和感ないものを普通に思いがちだけど、場所変えたらそんなことなんて全く普通じゃないなんて事は起こり得る。


演劇部に入部してみてから、表現が乏しかった過去の私の方がおかしかったと心から実感できました。

せっかく自分の気持ちを表現できる言葉があるのにそれを外に発さない事はどれだけ勿体ない事かという事も…

恥ずかしいと思っている事も思っていたほど大したことではなく幻想である事が多い事も実感した。

そういえば、ネーティブスピーカーでも英語を満足に喋れなかったけど演劇で克服した人がいるのを知っていますか?

イギリス人有名俳優であるローワン・アトキンソンは、大変家が厳しく引っ込み思案で人前で喋ろうとすると吃音になってしまいコミュ症だったんです。

Mr.ビーンで有名なコメディアン俳優といえば、分かる人も多いかな?

彼は演劇でコミュ障を克服し英語をちゃんと喋れるようにした俳優です。

英国人のネーティブスピーカーでさえ、人前で英語を喋ろうとすると間違えたらどうしようとか考えて口籠もってしまう事はあるんですよ!!

ジョニー・イングリッシュシリーズとかすごい好きでスクリーンにも観に行ったことあります!

どうしてもアウトプットするのに勇気がいるという人は、演劇をやるのも一つの方法でおすすめです!

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