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ネーティブに近い英語力とは何か?

“英語ができるようになりたい”という人は多いけれど、その“できる”という部分はどの程度なのかはっきりしていない人が多い。

「いや、自分は目標が明確です!TOEIC〇〇〇点が目標です!」

という人は多いだろう。

私から言わせればそれは、資格試験の目安であって、英語がどの程度できるようになりたいかの指標とは違う。

資格を受験して、点数が出る。その点数が何点かによってどの程度“英語が使えるか”の英語力の指標が出ているので、勘違いしている人が多い事が問題だ。

資格がどうしても必要な人はいるので、否定はしていないが、点数を取るために対策をとってその英語力の指標とやらの点数を取得してもその指標どうりに英語が出来るとは限らない。

なぜ、文字どうりに読んでしまうのだろうか…。

あくまで、それは目安だけで、試験対策ばかりやって使えるような練習をしなければ点数取れても英語はできない。

元々、それなりに実力がついている人が、試験のテクニックを身に付け点数を獲得して初めて少しは信用できるレベルだろう。

TOEIC満点だとネーティブに近い英語力があるとよく説明があるが、

“ネーティブに近い英語力とは何か” 

を考えた事はあるのかと疑問が浮かぶ。

私が9年以上、英語圏で生活し英語のネーティブスピーカーを見て、実際に接して感じた経験から言えば、ネーティブスピーカーでもどんな生活をしている人かによって英語力はバラバラなのが事実だ。

ネーティブスピーカーでも語彙力、コミュ力、読解力、聞き取り力は人それぞれ。

ネーティブスピーカーに近いくらいの英語力、なんて言われても、私の中では

“は!?なに、舐めきったフワッとした説明してんの”

くらいにしか思えないわけ。

ネーティブスピーカーでも、様々なレベルの英語力の人はいるんだけれど、問題なく英語で生活できている。

それは、使えているからだけの話。
慣れてその人が必要なレベルで使えるようになっているからという事に他ならない。

“どの程度できるようになりたいか”をはっきりさせない限り、使えるようには永遠にならない。

それは、明らかに点数とは違った話と理解しない限りあまり希望は持てない。

なぜかと言えば、最初の設定からして、ボンヤリとフンワリとし過ぎているからだ。

無意識下で、点数という幻想に逃げ込んでいるのだろう。

今から例をあげてみたい。

例えば、英字新聞を読めるようになりたいと思ったとしよう。そこには、様々な話題が載っている。色々な知識や語彙力が必要だ。

英語圏に住んでいるネーティブスピーカー全員が、全ての記事をスラスラ読んでちゃんと意味を理解し、正確かどうか判断できて自分の考えを言えるのだろうか?

そんな訳ないだろう。

日本人は日本語で書かれた記事ならどんなものでも細かく理解できるのだろうか?

と考えると分かりやすい。

もっと言うと、英語のネーティブスピーカー全員がパーティーで訳なく会話して楽しめるだろうか?

逆に考えて、日本人だったら日本語のパーティーだったら100%雑談で楽しめるのか?

これは、集まっている層によって話題によって、大きく異なる。性格によって、知識によっても大きく違う。

あなたがなければ、コミュニケーションスタイルは確立しない。置いてきぼりをくらうだろう。暗記で対応はできない。

優等生であれば、みんなどんな層のどんなパーティーでもお喋りだろうか?そんな訳ない。

どこの国でも同じ事だ。

けど、英語圏、日本語圏どちらのネーティブスピーカーも自分達の範囲で言語が“できて”、そして使って生活している。

点数というボンヤリとした指標で安心し、幻想を抱いているのではないか?

どの程度できるようになりたいかの部分を見失っていないだろうか?

と問いたい。

そして、言語は固まったマニュアルでは身に付かない。

暗記して、試験受けて点数取るために勉強する事で安心しているだけではないかと自問自答してみてほしい。

あなたにとってのネーティブとは、どんな風に英語が出来る人なのだろうか?

どうやってそのネーティブスピーカーの英語力がそのレベルになったのか?

試験を受け続けているわけはないだろう。
それ言ったら、試験を受けていない人は英語力0なのかという話になる。

具体性が必要なんだ。
ボンヤリとしすぎている人が多すぎる。

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