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別に間違えは大した事ない

英語を喋っている時に間違える事を異様に気にする人は日本人に多いと思います。

例えば、英文法の細かい部分を間違うと少し照れ隠しのように笑ったり単語が出てこないと焦ったり、中には言い間違いをすると“I’m sorry.”と謝る人まで私は見てきました。

だけど、それってネーティブスピーカーからすると

なんで?

と思い不思議に感じてしまう事なんです。

言い間違えても聞いている人は別にさほど気にしない人が殆どです。

照れ隠しで笑ったりしたら、

何がおかしいのかな?変わってるなあ?

と思われる。

Sorry なんて言っては、

なんで謝ってるの?

と思われるのがオチ。別に危害を加えられているわけでもないのに謝られたって ?? となる訳です。

言い間違えても、日本人ほど細かしく気にする人はあまりいません。

たまに指摘する人は、

この人ネーティブじゃないから言い方を教えてあげよう。

という親切心もしくはお節介好き。

それか、英語でマウントとりたいバカかです。

考えてみて下さい。

英語を喋った時に言い間違えをしたって、その事によって自分の身に危険が及ぶ事はありません。

だから、大した話ではないんです。

ネーティブスピーカーは間違えてもスルーするか、細やかな性格の人であれば

“あっ、〇〇じゃなくて□□だった。”と言い直す人はいますが異様に動揺する人を私は見たことありません。

減点教育の空気に毒されている人くらいですよ。そんなに細かしく気にするのは、、

それに他人の言い間違えはその場では分かったとしたって、それをずっと覚えている人は稀です。

話終わるときにはどうでもいいんですよ。

だから何をそんなに気にしてるんだ。別に間違えなんて大した事ないじゃないか、気にするな!

と私は言いたい。

そもそもそんな細かい事を気にしてたら、一生喋れないだろ!

そう思ってしまいます。

最初は間違えても繰り返すうちに段々洗練されてきて上手くなっていく。日本語でもそうだったでしょうがと言いたい。

第二外国語で有れば尚更、話すまでに慣れが必要だから間違えないようにするまで口に出さないなんて考えてたら場数が踏めないじゃあないですか…

それに考えてみれば、母国語でさえも人はたまには言い間違えをしています。

それをずっと覚えていてずっと指摘する人なんていますか?

いたとしたら、余程の暇人な不幸ものでカスなだけ気にしたってしょうがない存在です。

それに言わせておいても身に危険が及ぶわけでもなしどうでも良い事な筈です。

頭で考えれば、こんな単純な事は分かるはずで明確なのになぜそんな事を忘れて細かしく間違えを気にしてしまう人がいるんだろう。

点数を多く取るには、細かいミスが命取り。
スペルや文法、書き順などなど…

暗記教育、クソな受験勉強。

そんなものに洗脳されて、頭が膠着し本当に何が大事か忘れてしまっているんだとしか思えません

真に大事な事は伝えたいという気持ちで正しい文形ではない。

伝えたい理解したいという気持ちが有れば上達が必要です。それには慣れが必要。

例えば楽器だってマスターするまでは反復練習しないと身に付かない。

失敗をいつまでも気にしたら、自分なりの経験値が増えずずっと伝えられないまま。

しょうもない事を気にしたら本末転倒って事です。

精度を求めるなんて二の次、慣れる事が出来なくては伝える域には達さない。

楽器を触ることに慣れないのに表現できますか?

そういう話と同じです。

別に間違えなんて大した問題じゃない。
それどころか、宝なんです。

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