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文字での返信の感覚の話

日本にいると、メールやチャットで人に何か尋ねられた時に返答は必ずしなければいけないとか、なるべく早く返事をした方がいいと思う人が結構多いです。

しかし、オーストラリアの多国籍の人がいる環境ではこの考え方が覆される事もしばしばありました。

そして、必ず返信しなければとか、何とか早く返信しなければという常識は特に強制ではなかったなと気付く瞬間が何度もありました。

なので今日は、文字での返信の感覚の話をします。

当たり前だけど、感覚は人によって違う。

だから、必ず返信がくる保証はありません。
これはどれだけ丁寧に文字を書こうが関係ないです。全然人による。

必ず返信が欲しければ、

“返信を求めています”という事実を絶対に書く必要がある。

そして、どの程度自分に重要か納得してもらえなければそれでも返信はない可能性もあります。

最初は日本での長年の経験から

何て無礼者だ!こんクソが!

とか心の中で勝手に叫んだこともありました。

だけど後で考えたら返信がなくても伝えるだけで十分な場合もあったり、返信の前に行動に移して示してくれる人も何人かいました。

そして、返信なしで

“それは今出来ない。”とか、
“あなたの言ってる事は同意できない”

と示しているんだなと後からわかる事さえありました。

それが分かった時、私はなるほど必ず返信する事が正解ではないんだ!という事も分かりました。

正解は人によって違う。

の例

そしてそういう類いの人は、返信は義務と捉えていないから人にもそう思っていない。

寛容なんです。

悪い言い方をすれば、自分に甘く最悪に不真面目。
だが、良い言い方をすれば自分に甘い分人にも寛容。

絶対に返信するという自分ルールがそもそもないから、人にもルールを設けないんです。

捉え方によってはめちゃくちゃ気楽だなと思った。それに、必ずするという動作が一つなくなるので時間節約にもなるという良い側面もあった。

私はこういう事に気付いて、過去に心の中でキレた自分に激しくまた心の中で突っ込んだ 笑

そして、本当に返事がいるものなのか良く考えてから文章を書くようになった。表現をつけて、必ず返して欲しいという度合いを示すために…

それでも、返信が来ない事がある。さて、どうするか?

そこでまた問題がある。返事が来ないと決めつける事がどうして出来るんだろうか?という事。

自分の感覚と人の感覚が違う。だから、時間軸の捉え方が違う。

多国籍の人が集まればそれは本当にバラバラだった。

日本での私の時間軸がどう作られたかの話をここでしたい。

私は、日本での大学時代。側から見ればお上の教授をまるで教祖のように崇めているかの如く勘違いされかねない24時間稼働の研究室にいた。これを人は遠巻きに見ればブラック研究室とかいうのかもしれない...

そこでは、秒を競うほどにメールの返信を速くするのが正義のような人がいた。そして「読みました」の返信がないと焦り何度も送りまた尋ねられる環境にいた。

下手したら、電話で読んだかの確認をしてくる(汗)。
ハッキリ言ってただの悪夢だ…

めちゃくちゃ電話嫌いの私は、されたくないので今だから種明かしをするが自動返信する仕組みを見出し勝手に何パターンかの返信パターンを準備しその電話攻撃を回避していた笑。

必殺、自動返信!!

その時の私は、電話を回避して後から“なるべく速く返信していた”

当時の私はこんな研究室にいながら、学生発ベンチャー創出のプロジェクトの一員として楽しくて楽しくて仕方なく、夢を持ち、家を持たないかのような移動生活していた時期もあった。

授業ー>研究ー>論文->会議->後輩の教育->物の発注->新しい機械の立ち上げと条件だし->調べ物と新しいアイディア出しのルーティーンをずっと回しトライアンドエラーの繰り返しをしながらスタートアップ起こしの一員として刺激を楽しんでいた。

新しいものを起こしたり何かを変えるのが好きな私はとても楽しかった。材料の研磨とか泥臭い地味な事もやっていてとても時間がかかった。

側から見ればよくやってるねと言われているのも知っていた。笑われもした。でもやりがいがあり忙しさは感じなかった。

こうなれば、時間をいかに短縮するかが重要になるから返信は時間が出来たらすぐするということを徹底していた。

速さを重視する為と、あれこれ新しい連絡がきた時紛れない為が理由。

その後、私はいろいろあり立ち上げたベンチャーからその場を去った。これがテーマじゃないから、ここでは書かない。

それから、ものづくりに興味があった私はそういう会社に入った。ここでは、現場ではパソコン使えない職人も多く電話を主に使っていた。

私は元々かなりの電話嫌い。ここで、私の挑戦が始まった笑。ただのツールと思えば案外いけるが、ここでの時間軸も早い人が多かった。

まぁ、製造は納期が重要になるからだろう。かかってきたら即取らないと鳴り止まなくて腹立つので秒で出るという環境にいた。(勤め人は大変だ。電話奴隷だと心から実感した笑)

退職時の電話からの束縛から逃れそこを辞めた後、この速い時間軸のままオーストラリアに渡った私。そして、電話から絶縁する事もできた!

そしてメールとチャットが主になった。

そこからまた、周囲の時間軸のズレに驚愕する事になった。

そして返信の時と同様また心の中でキレたりした私笑。何で学ばないんだろう笑?

だけど、あまりにも状況が異なり心の中で怒るのにも私は飽きてしまった。

正直、自分の時間軸で考え出したら殆どの人が自分の速さと違う。ストレスだけがすごい。

返信は大体がかなり遅かった

こういう訳で、私が極度に返信ペースが早かったから周りとの差がすごかった。そのおかげで、いちいち気にしてたら身が持たないという事を学習できたとも言える。

簡潔にいうと、私の返信ペースは経験上かなり速く周囲はかなり遅かったから違いに気付いたという話。

あまりに差が激しいと人は気付きやすいんだ笑

どのくらい違うかといえば、それは人によって違うが中には1週間2週間後に返信や酷い人は催促しているのに1ヶ月以上ということもあった。

こんな違い気にしても向こうの時間軸が変わらない以上は何言っても変わらないし諦めた。

私の時間軸は崩壊した。

向こうがそれならこっちもやる必要ねーじゃん。おあいこだよバカが!腹立つわ!という単純思考が最初。最悪と思う笑

だけど、そう思い自分が早く返さなきゃという束縛が一気に外れた。

そうしたらあり得ない程、気楽になった。急がなきゃと思わなくなったしイラつかなくなった。

ある種いい加減になったら相手のペースを見るようになり寛容になった。

自分に甘くなったと同時に相手を知りペースを掴もうとする様になった。そして、本当に早くしなければいけないか考えるようにもなった。

結果、返信いらないなと結論づけたりゆっくり考えてから送る事が出来るようにもなった。

相手の出方を見て考えを伝える工夫をする時間が新たにできた。ゆとりが産まれたと言える。

人は真面目に自分にルールを求めて厳しくすればする程、相手にも知らないうちに強要しがちだ。

真面目ちゃんは怖い。

夢中になる事で前が見えなくなる事がある。時間幅を広く持てばゆとりが産まれて頭が回る事も多い。

これは自分の経験から、かなり実感できた。

ゆとりがなければジックリ考えられないから、失敗しやすい。そして、相手にも寛容になれず広い考えを持てなくなる可能性もある。

返信をすぐに焦らなければいけない。必ずしなければいけない。

というルールは勝手に人が作ったものだから無くした方が良い場合もある。

オーストラリアの人達の文字での返答の感覚がいろいろ私に大切な事を教えてくれた。

返信の速度も必要性も人によって違ったという事実はこれからも大事にしたい

そしてまだ返事は来るかもしれない。何年後でも何十年後でもそれは否定できない

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