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雪山の上から落とされた話

私は今まで生きてきた中で、とんでもない先生に何度か出会った事があります。

今日は、その中でも1番印象に残っているスキー合宿の話をしたいのでお付き合いください。

中学生時代にスキー初心者だった私は、当時の友達とスキー合宿というものに申込みました。

同じ年代の人達が全国の学校から集まり同じ一つの山小屋風の民宿に泊まりみっちり特訓されるというもの。当時、友達が申し込んだものでどんなものかはっきり分かっていません。

誘われたから、面白そう!とただのノリで参加しました。上手くなりたかったのもあるし…

初対面の人達もとても個性的な人達が多くて、今でも強烈に憶えています。

(向こうもそう思ってたかもしれないけど 笑)

まあ、このnoteはそれがテーマではないのでそれは書きませんけどね。

だけど、1番癖が強かったのはスキー場でのプロ(!?)の先生(!?)でした。

指導方法があり得なかったんです。今考えたら、誘われるまま調べずにノリで行くなんてやってはいけないと思います

最高のバカです笑

その先生は、なんと初心者である私達を急に上級コースまで連れていったんです!!!

そして、勝手に先にどんどん先に滑っていってしまった。

それで、な!なんと!滑りながら思いっきり引いている私達の背中を通りざまに押しながら滑っていったんです。

当然、雪山はとても急斜面。当時、足をハの字(ボーゲン)しか出来なかった私にはその角度は直角のように見えました。

まるで、雪山から落とされたような気持ちに…

当時の私には、何も間違ってはいません。

周りは、どんどん転んでいきます。そして、スキー板は外れる。泣き出す人、文句を言う人、怯える人様々でした。

私も当然転びましたが、なんとか少し奇跡的に滑りました。かなりスピードが出て板がぶっ飛びコケた私。

先に板だけ下まで行ってしまったのでおケツで滑り下まで行きそのプロ(!?)の先生に褒められました。そんな感じの人は私含めて3人ほど。。。後から、その先生(!?)が救助に行ったのは憶えています。

私達は、そのスキーの先生がいつまでもコースに行かせてくれず転び方のバリエーションばかり教えいざという時の体の倒し方ばかり1日中講義と実践をさせた事をずっと不審に思っていました。

ただ、上級コースのてっぺんから突如落とされた瞬間。そして、怪我もせず上手く身体を倒せた瞬間。

その講義のありがたみが身を持って染みました笑。

全てがスローモーションになり命が輝き、そしてその不審な講義が走馬灯のように現れその先生がまるで異界の神のように光り輝いたのを憶えています 笑笑。

そして、かなりありがたい存在のようにさえ感じました。

今考えれば、こんなスキー合宿令和の今では一瞬で問題になりそうですが酷い時代です。流石、私が部活で水を飲んだだけで告げ口され先生から目をつけられ危険人物扱いされたそんな時代です。

(話ずれたので戻りますね)

この話で何が言いたかったかといえば、どんな場所か考えすぎると怖くて行けない場所でも予告もなく連れられそして落とされると何がなんでもその場を通り過ぎる必要があり何とかして切り抜けようとすることです。

そして、適切な身の守り方さえ知っていて、それを色んな可能性からシミュレーションすれば特に怪我する事もなくやり過ごす事が出来ることです。

滑れたか滑れないかは置いておいて全員体験は出来てしまった。

よく考えたりしたら、初心者が上級者のコースなんてとても怖くて行けたもんではない。怪我したら大変だ!どうしよう!と思えば辞めてしまいます。

ただ、どうすれば怪我をしないか分かってさえいれば別に大した事ではなく命を失う様なものではない。

無謀な事だと思う事はとても簡単ですが、無謀になってしまう理由さえ排除できれば大抵の事は大したことない。

それはリスクでさえなく、かなり多くの人がありもしないリスクを恐れ挑戦出来ないのではないのかと思ったんです。

雪山から落とされても、避け方を何パターンも予測していれば別にリスクではなく怖くはない訳です。

正しくリスクを測れているだろうか?
根拠もなく怖がっていないだろうか?

多くの人は、トライした事がない事は恐れを抱き易い。ただ、なぜ恐れているか理由を正しく認識できている人は案外と少ない。

やった事がないから怖い。何かあったらどうしよう。それに理由があればまだマシかもしれない。時として避ける事も生き方の一つだから。

ただ、それが根拠のないものであるとしたら恐れやリスクはただの幻想である可能性さえ高い。

怖いと感じると人は理由を並べ出す。そこから回避するために、、ただそれに根拠がなければ言い訳をしているだけに過ぎないと思う。

人生が終わる際に後悔をなくしたければ、こういう思考を意識的になくし、やりたい事をリスクを並べ回避しようとする癖を取り除く事でかなり変わるとそう思う。

出来ないには理由がある。リスクにも事情がある。


それはどうしようもない事なのか、解決できる事なのか。正しく分析できているだろうか?

それを全てやっていなければただの言い訳と自覚した方がいい。

言い訳をしてはダメと言っているのではなく、人生は選択だらけだからその度に立ち止まりたくなったら怖さを正しく知りリスクかどうか幻想でないか正しく分析し選んで欲しいと思う事が良くある。

ただ言い訳を言ってるだけか、言い訳を言う事を選んでいるのかでは大きく違う。

そういう話をしたかった。

例えば、ネーティブに対して英語が喋れない。人前で話す事が出来ない。海外に行ってみたいけど、英語力が不安で怖くて行く事が出来ない。

それはどうしてなのか?
そんなに怖がる事か正しく分析できているか?

現代はセーフティーネットは色々調べればある時代。

激しく恐れる必要がある事は凄く少ないと思う。そして、そんなにあるかどうか分からない危機について考えてもそれは起こるかどうかも分からない。

正しく恐れる事は出来ているだろうか?

雪山の上から落とされようともシミュレーション出来てさえいたなら、死ぬ事はない。それに私達は傷付かない方法を考えた事で怪我さえしなかった。

それどころか、それ以降初級コースがどれだけ簡単に感じたかは言葉では言い表せない。

このインチキ先生は、最高のプロの先生だったのかもしれないんだ!

その逆で、いつも通りの風景だから安全といって何も恐れを抱かず考えず生きていく。

それは怖くはないのだろうか?
逆にリスクではないのだろうか?

考えてみる事は大事と思う。
そして、その上で選ぶ事だ。


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