英語を学ぶ目的。
私は英語関連の事をここnoteに書いています。
特に英語を使いこなせるようになる為のヒントを沢山まとめておきたいということが発端でした。
今日は英語を学ぶ目的について書きたい。
英語を使えるようになりたいという人に忘れて欲しくない事がある。
それは、
英語を使う事が目的になってはいけない
ということ。
あくまで英語は手段でなく目的を達成させるものそう意識して欲しい。
英語を学び始め、使えるようになりたい!
それは使える事が目的じゃないはず。
すごくすごく使えるようになりたいと思ったって、ここら辺の目的意識が明確でないと続ける事が出来ない。
えっ?そんな目的ないよ?ただ使えるようになりたいからだよ??
と思う人もいる。
そういう人は一度、冷静になって考えて欲しい。目的を大袈裟に考えすぎている傾向がありそう。。。
目的なんて、
カッコよく喋って自分が気持ちよくなりたい
映画や音楽がそのまま理解できるようになりたい
海外旅行に行って周りの音を理解したい
とかその程度でもいいはずに思う。
そういう些細な事さえも目的なんだから、ないという考えがそもそも違っている。
英語を使えるようにするには、継続力が重要
だから、このどう自分が目的まで到達して気分良くなれるかを想像し尽くす事によって、たとえ辞めたくなっても続ける事が出来ると言える。
私の想いは、英語という日本語と全く異なる言語を身に付ける過程において、使えるようになりたいという気持ちで向き合う事で色々な考えに触れ視野が広がる人が少しでも増えてくれたらと思っている。
そうすれば、少しずつ多様性が生まれ社会が寛容になりなんだか息苦しくない幸せな気分になるし、そして周囲も1mmずつぐらいは変わっていき次世代に繋がるんじゃなかろうか?そんな気持ちを持っている。
だからこそ私は、今までの従来の方法のように暗記一辺倒でその背景が薄い方法に疑問がある。
そもそものコミュニケーション方法や物の考え方の軸をしっかりと持ち、それに加えて多文化に捉えてこそ、英語という言語が初めて深みを持ち真に国際的にコミュニケーション出来る人が増えると信じている。
ただ英語を書いたり、聞いたり、読んだり、話したりしてもコミュニケーションの軸というものがなければ英語使いという事にならない。
機械のようで伝わらない。逆に言えば、そんなに文法や単語そして表現などの精度が完璧じゃなくても英語に深みが出れば使えていると言えてしまう。
日本人はTOEICのような資格試験が好きだ。社会の大多数がそれを賛美しているのだから当然そうなっているし疑問にさえ思っていない人もいる。
高得点をとり、就職や昇進に活かしたい。それも一つの立派な自分が気分良くなる為の理由だったら私は否定はしないが、ただ点数を取っただけではそれが目的と化しているから深みがなくなってしまう。
英語使いになりたい人が必死で暗記だけするという行為があるとしたら大して使えなくて時間の浪費なのでやめた方が良いと考える。
点数だけが成果でその身に付ける間に学んだ事が何もなければ使えたと言えないという事を忘れている人が多過ぎやしないだろうか?
どうしてそれが求められているか。そして、自分のやりたい事とその気持ちがどうマッチしているか。よく調べるべきそういう事に思う。
英語が使えるようになりたくて学び始めるんだったら、その目的を明確にしようという話でした。
そしてそれが鮮明であればあるほどコミュニケーション出来るという事が言いたかった。
ー
英語上達のためのいろいろ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?