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英語ペラペラに話す必要性

英語が出来るようになりたいと考えると、英語ペラペラを思い浮かべる人は多い。

だけど、果たして本当に英語ペラペラに話す必要性があるのだろうか?

英語が使いこなせるという事が英語ペラペラと定義してしまうと、一部の人はそもそも実現不可能と私は思ってしまう。

何故なら、性格はみんな違うからだ。日本語でもあんまり口数が多くない人が突然英語になるとペラペラになる訳はない。コミュ障だったらどうだろう?何故、英語になるとペラペラと話せるのかおかしいと思う。

そのままの性格であれば、詰まったり口数が少なくなったりするのが当然に思う。

滑らかに英語表現が口から滑り落ちてくる様な状態を目指したければ意識を変える必要がある。心の持っていき方の話。そうすれば、ある種日本語でも口が回るようになるはずだ。

英語への向き合い方や英語圏の人の考え方について書いてるのはそのため。

だから、性格矯正なしに英語だけペラペラになるかと言えば違い、コミュ障の英語使いが誕生したり、なかなか話す事が分からない、言い換えるとたまに話す事に詰まったりする英語使いが誕生するだけだ。

言ってしまえば、どんな風に英語を話したいかで練習方法は変わると思う。

そして、その理想の姿とあなたの性格がどれだけズレているのかさえ考える必要があるだろう。

よくお喋り出来る人で社交的タイプならペラペラになる事は、コミュ障の言葉少ない人よりは簡単のはずだ。

だけれども、果たしてずっとペラペラ喋る必要はあるのか?それを意識しすぎてはいないか?自然体で良いのではないか?とも思う。

そもそも、そんなに沢山表現が口からこぼれ落ちなければいけないと決められてはいないだろう。

言いたい事を自分の言葉で伝えて、相手の言った事に反応する。それさえ出来れば別にペラペラにならなければと気負う必要性を感じ緊張する意味はないと私は思う。

人により性格は個性である。その人なりに使えれば良いと考えれば、英語を使う事にもっと緊張感がなくなるのではないか。。とも思う事も多い。

人によっては、わざわざ無理までしてペラペラになる必要性がない人はいると私はそう思っている。要は、聞けて話せればよい。

英語に緊張して特別視しない為には、とめどなくスラスラ話せなきゃなんて事を一旦は忘れ、自分の不足分を適切に判断し地道に練習すれば良いのじゃないかとも思う。

英語の話し方に正解はないんだ。
人によって違っている。

沢山喋らなくても、落ち着いて言いたい事を言える。そちらの方がよほど大事で話はそれからだろうとも思う。

むしろ、始めっからペラペラなんて無理というもの。。。徐々に流暢になる、そしてその人の色がちゃんと英語に反映されるのが良いのだから。

段階を踏む事が大事だ。それこそ最初っからペラペラになる事はないし、そんなサッサとできるようになる訳ではないから、最初っからペラペラをイメージして自分に重ね合わせる事がそもそも不健全すぎるとも取れる。現実的ではない。

よく英語を話すときは人格が変わるとか言う人がいる。日本語よりもテンションが上がるとか、ハッキリとものを言うとか。。

そもそもそういう事を考える事自体、英語を特別視してしまっているとも言えるのではないか。

現に、英語圏では物静かな人もいるし言葉少ない人もいる。ただそれでも必要な時はちゃんと話せる訳だ。それに、英語だって日本語と同じく濁す表現はあるのは事実でもある。

日本語だってみんなが同じ話し方などする訳ないから英語でもそれは言語という特性上同じ事。

英語をペラペラに話す必要性が果たしてあなたに当てはまるのだろうか?

と考えてみる事はとても大事な事に思う。

それにより方法論をひとりひとりが選んで適切な努力をしながら使っていく事だ。


心がけのいろんな方法、書いてますー!


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