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英語力じゃなくてコミュ障!?

私がオーストラリアに行って1週間後くらいに語学学校に入った時に感じた事があります。

周りの学生が驚くほどお喋りで私は驚いた覚えがあります。(まあ、アジア系の学生は静かな人も少しはいましたが…全体的には、お喋りが大半です)

そして、授業中に先生から質問されてもそのお喋りな生徒たちほど沢山喋れません。それは、テスト中もそうでした。

最初私は、自分の英語力が不足しているのではと思って少し落ち込みました。良く練習して時間をかけていたのに周りより喋れないことに、がっかりしました。

で、冷静に考えてみました。ホームステイに帰ってからホストマザーは色々話しかけてくれます。それに、いつも2人で食卓を囲むのが日課でした。お話に花が咲いてちゃんと会話しているのになんでだろう?

ホストマザーの家族の事や自分の家族の事。そして、彼女の母国の本格的なイタリアンの作り方をたずねたり楽しい時間を過ごしていました。。勿論、英語で…

しかし、突然語学学校ではあまり喋れなくなる瞬間があるんです。

違いを考えてみました。ホストマザーとの会話は、家族の事や私が好きな料理の話とかたわいのない話でした。

日本語で同じ内容を話したらと考えると、同じように話せる内容です。

ホストマザーは会話しやすい事実を話せば良い内容しか話していなかったんです。

しかしその一方で、語学学校ではその内容を日本語に全て直して日本語で話してもスラスラと答えられない内容の事も多いという事に気付きました。

要は、今まで考えた事もないような事を聞かれる事が結構多いんです。

自分の頭で考えて自分の意見を相手に伝える。そういった内容が多い。

私は日本の中では、色んな事に割と疑問を持ち自分の意見を持っていたしそれを意見して周りと衝突してしまった経験も何度もある人間です。

それに、自分の思っている事をどうしても我慢できなくて言ってしまう性格なんです。

日本では何度か浮いてしまった経験がある、そんな私でさえ、この自分の頭で考えて自分の意見を相手に伝える。そういった内容の話題の回答がサラサラ出来ないという事実が分かり驚きました。

他国の生徒は、色んな物にちゃんと考えがあったらそれを言語化して伝えて相手と異なっていた場合はそれについて話し合う。すなわち、議論する能力を持ち合わせている人が多かった。

そういう議論の方法のような事は、そもそも学校教育で常に練習している人も多いと知りました。

私は自分の意見を言い過ぎると自覚していたから、自然と周りを見て押さえ込む癖がついていたという事を認識しました。

全体主義である日本の習慣で自然と何度か周りとの協調を考え過ぎた挙句に、自分の意見をどう伝えるか考える機会はあまりなかったなと思う機会を得ました。

これが私の語学学校での大発見でした。

人前で話すのがとても苦手で、演劇とか色々試し意識的にその壁を払ってきた私はひょっとしたら周りの雰囲気を気にし過ぎていて喋れなかったのではと気づいたんです。

実際、私は性格診断をすると直感力や感受性が高いという結果が出る事も最近分かりました。この性質から、自分の意思や意見が強くても押さえ込み、そしてその意見を適切に周りに伝える練習が欠如していたから、コミュ障っぽくなっていたのかなと気付きました。


私が英語でスラスラ喋れないのは、周りを気にしすぎている事に由来したコミュ障で英語力の問題じゃない。だから、それを勇気を持って取っ払い伝える努力をしようと意識しました。

いつも何か我慢していても意思や自分の考えが強くて結局爆発してしまう。

昔、学生時代に部活の顧問と揉めて部活をバックれたり、ブラック企業でも退職前には通常に辞められず(ブラックだと普通に話しても退職は認めてくれないです)上司に暴言を吐きバックれました。

ずっと細々あるはずの自分の意見を封じ込めて、気付いたら外に出す練習(伝える努力をして周りに聞いてもらう工夫)をして来なかった環境があると理解した訳です。

その無意識でついた習慣を取っ払うのに時間もかかりましたが、意識出来た事が本当に大きかった。

私のような性格の人間は周りを気にして、あえて空気を読み考えを封じ込んでも精神的に限界が来てしまう。そして最後には爆発して碌な結果にならない。

それよりは、自分の意識的にかかったストッパーを外し自分の意見を努力して伝える練習をすべきと思いました。

日本の周りと合わせた方が良いような同調圧力が強い雰囲気で、自分の考えがあるとそれと反してストレスになってしまう環境から気づいたら、考えないという防衛反応を取っていた事もあるのではとそんな事にも気付きました。

自分の意見を持たないで、無関心でいる。意見を持っても無意識で言うのを我慢する。

私は他人と違う事を選択する事が多かったので、我が強いと周りから思われていたし思った事をいざと言う時は言う人とも私を知っている人からは思われていました。


だけど、語学学校のように色々な国から生徒が集まる場では私はどちらかと言えば意見や考えを持たないそして外向きに意見を言うのが下手な、

ただのコミュ障


でした。

全体的に日本人は日本特有の全体主義の雰囲気からコミュ障の人間が国際的基準に比べれば大半です。それは本当に末期で悪い事ではないでしょうか。

それが周りから見ると、無口とかシャイとか見えるわけで、なんとも皮肉です。


私はこの国際的に、自分の意見をはっきり言わなければ浮いてしまうという環境が多いという事をずっと感じてきました。

学校でも、自分はどう思うか意見を出さなければ優秀とは思われない。それを上手く伝えられなければプレゼンなんかでも低い点数がつきます。

私は割と早く語学学校の段階で気づいたので、プレゼンには沢山自分の考えを入れどうすれば伝わるか工夫して考えながら発表した。

だからいつも高得点でした。

でも、もし気付かないうちにコミュ障になる環境にいたと気づいていなくて英語力の問題と勘違いしていたら…

いつまで努力しても点数が取れず苦労したのではないかと想像できます。

これは、全体的な日本人の問題でないのかなと思っています。

ものすごく、英語を勉強したのに喋る事ができない。

それは外へ向ける気持ちが少ないからという根本的原因が潜んでいる人もいないかと一度考えてみて欲しいと今日の記事を書きました。

残念ながら平均的に、日本人はコミュ障だと私は思っていますので。

常に周りにある事に意見や考えを持つ、そしてそれを伝える努力をする人がどれほどいるのだろうか…

英語圏では、もちろん個人差はありますがそういう事をするのは別に特別ではない。

自分の想いや考えを伝える努力をする事は、もともとみんな違うと考える国では日常なんです。

そして意見を相互交換して、新たな考えを生み出すそれを練習する機会もかなり多いです。これは大学に通っている時に実感しました。

自分の意見を伝えて、それが相手と違うとその相手が一方的に意見の違う人は異質な敵と捉えて怒ってくる場合が日本では本当に多い。

これは、外国だと意見交換や議論の方法を知らないただのコミュ障なんです。

こういう人間が多い事も、私が日本がコミュ障大国と思う原因なんです。

だからそういう空気に合わせると自分も無意識のうちに意見を伝えるのが下手くそで思考停止のただのコミュ障になってしまうという事です。

もしも根本的にコミュ障であれば、英語力とかそれ以前の問題なんです。

コミュ障は自分の考えを周りとすり合わせることなんてとても大変な事。自分自身の人生を歩めなくなるので、思考停止になる事はやめなければいけません。

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