あっという間に過ぎてしまう日々

2月5日に投稿して以来になりました。
子どもの受験が本番で、やらかし体質の私が子どもの受験で取り返しのつかないことをしない様、この期間は子どもの事最優先で過ごしておりました。
その判断は概ね正しかったと今は思っています。
子どもも良い学校にご縁を頂くことが出来、本当に一安心です。

今は4月7日ですから、ほぼ2か月。
なんと月日がすぎるのは早いのか。

今回の受験で、子どもたちにこれほどまで手を掛けることは最後ではないかなと思いました。(そうであって欲しいなー)
今にして思えば、グレーゾーンの私には子育てが大変だったのは当たり前だなと、客観的に理解できるようになりました。自分以外の人生の責任を負うなんて、かなりの綱渡り状態になることは今なら容易に想定できることですから。

だからといって、もっと早い段階でグレーだと自覚したほうがよかったのかと考えると、否と思っています。

発達障害の方の本を読んだり記事を読んだりすると、「(発達障害と)わかって楽になった」という記載があることがあります。
自分の努力が足りないとか自分が悪いというわけではないんだと分かる点ではとても楽になるとは思いますが、完治するものではないんだという事実ももれなく一緒に認識しなければいけないのです。そう、治らないのです。

その事実を小さい頃(若い頃)に認識させる必要はあるのだろうかと、親の立場である私は深く考えさせられるのです。もちろん障害のレベルによるとは理解しています。でも知らないで幸せに暮らせるようにできれば、それに越したことはないんじゃないかと思うのです。事なかれ主義ですかね、私。

但し、親はそういった特徴があることは理解し、勉強している必要がありますね。そうでないと、子どもをどうやったら知らずに幸せに暮らせるようになるか考えることが出来ませんから。

では私が若い頃に認識したら何が今と違うだろうと考えると、たぶん結婚できなかったのではないかと思います。ただでさえ自己肯定感が低いうえに治らない障害を持っていると自覚していて、相手に多大な負担をかけることが分かっている状況で結婚に踏み切れるかどうか・・・。

認識していれば、相手からしたら「だまされた―」ということにはならないとは思いますけどね。

知らないからこそ行動できることもありますよね。
私の場合、相手に恵まれたことはいくら感謝してもしきれません。

これはその人の特徴なのです。
その人の障害と認識せず、その人とその人の周りの環境との間に起こる障害なのだと私は思うのです。だとするなら障害が発生しにくい環境に変えてあげることが出来れば、そこそこ幸せに生きていけるのではないかと考えるのです。ま、現段階ではまだ難しいのもわかってますし、環境を整えたとしても最終的にはその人の生き方によるとは思いますけどね。

でもここ最近は発達障害に関する情報が多く開示されていますし、世間の認知度もかなり高くなっていると思います。企業も社内に対してそういった方々への理解を深めることを推進しているところも多くなってきているように思います。未来はもっと幸せにくらせるようになっているといいなぁ。

大体、障害って付けないでほしい!
改名希望!

考えがとっちらかってしまいました。
今日はこのだらだらとした記事のままで投稿したいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?