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8月、詩、部屋

8月後半はなんだか疲れていた。することがあまりないのに、またはすることがないせいで疲れていた。変な時間に寝て起きる。昨日は1時くらいに寝てけさ5時くらいに起きた。今日は8月最後の日なので休みをとってある。雨になる前に寝具をまとめて洗って干した。コーヒーを飲みにスタバへ行ったが混んでいたのでマックにした

日記を書かないよりはたぶん書いたほうがいいと思っていた。こうやって書いてみると、書かなくてもよかったようにも思う。何事もやらないよりやったほうがいいというわけではない。

しかしつくらないよりはつくったほうがいい。日記はつくることに入りますか? 日誌を書くことはつくることに入りません。日記で、その日を書きながら、別の日、別の場所を呼び込むことは、つくることのうちに入るような気がする。その日の日記を書く、その中に何か一つフィクションを加えるとそれは小説になる。

私はどうして本を読もうと思うのだろうか。昨冬渋谷パルコで開催されていた最果タヒ展を見に行った。この詩のインスタレーションの個展の中で、一番広いスペースを使って展示されていた、そして一番心に残っているのは「詩になる直前の、渋谷パルコは。」と名付けられた一部屋だった。最果さんが書いた詩やその他の言葉が細切れにモビールのパネル1枚1枚に印字され、部屋中に吊るされて漂っている。自分の中からは決して出てくることのない言葉、言葉の連接に次々に出会い、何か言葉や気持ちが湧いてきて、それをはっきりとつかむ前にモビールは動いていて、また次の言葉に出会う。もしこの部屋が自宅であったらもう本棚はいらなくなってしまいそうだった。

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