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占いのお客様

※衝撃の強い表現が含まれております。傷や血などに弱い方は読むのをお控えください。

占いの仕事の後のお話です。

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-ホラー映画とかみれないじゃん。

彼女がそう言って、机にだらりと顔を伏せた光景をよく覚えている。長く細い真っ黒な髪の毛が机の上をさらさらと流れる。タロットカードがバラバラと地面に落ちたのを、私はぶつぶつ文句を言いながら拾い集めた。彼女は長い睫毛を閉じ、じっと身じろぎもせずに細い腕を投げ出している。

私は身体感覚の再現率が高くて、夢の中で、味も、触覚も、痛みも感じる。現実と想像との境目がとても危ういのだ、と話をした時のことだ。

-出血シーンなんか痛くてしょうがないんじゃないの、彼女は体を起こして髪をかき上げる。さらさらと指の間を絹のように梳ける長い髪。

白い肌、冴え冴えと深く澄んだ黒い瞳。繊細なカーブを描く輪郭。彼女は通り過ぎる人たちが思わず振り返る程の美しい容姿をしていた。半袖の制服から伸びる細い腕。そこには幾本もの線状の切り傷が刻まれている。

私の目線を感じると、彼女はニヤっと意地悪そうな笑顔を浮かべて、-傷を見ただけで痛いの? いや、切っている映像を見ると痛いかな。傷痕は切られているところを想像しなければ平気、と答えると、-あっそ。とつまんなそうに彼女は指で自分の傷をなぞって呟いた。

彼女はひと月ほど前から占いのブースにやってきて、ほぼ毎日ここで数時間過ごして帰っていく。金払いはよく、お財布の中には札束がぎっしり入っているのを何度か見かけた。

高校生であること、そして彼女の腕に残る傷痕から、リストカットをしている事実も見て取れること、学生なのになぜか沢山お金を持っていることなどが、彼女の不安定さと危うさを醸し出していた。何か問題が起こってはまずいと、他の占い師は途中から彼女の占い鑑定を全て断っていた。

彼女は-何で見てくれないの、客なんだけどと憤慨し、さんざん喚き散らして揉めた後、私のブースに来るようになった。他の占い師に止められていたため、私は彼女に占いはしなかったが、彼女が学生鞄につけていたキーホルダーが、私の好きなアーティストのグッズだったのでちょくちょく話すようになっていた。

午後16時をまわると、彼女はやってきて、お店の終了時間の20時までだらだらとくだらないおしゃべりをする。私が占いの接客をしている時は、表で地面に座り、携帯を見ながら大人しく待っている。私は鑑定の合間に窓から顔を出し、彼女を確認する。 -終わった? いやあと20分くらい。-えー。ぶうぶう。

暦ではようやく夏、のはずなのに、既に随分前から何日も猛暑が続き、夜になってもアスファルトは熱いまま。閉店の時間になると、夕闇の中、二人で駅まで帰るのが日課になっていた。むわっとする熱気の中、コンビニで彼女は水滴のついた甘い炭酸飲料、私は冷たいアイスカフェオレを買って飲んで歩く。

年の差は10歳以上ほど違ったが、彼女は何故か私を気に入り、また私も、美しい容姿の奥の、彼女の放つ言葉から垣間見える知性を気に入っていた。彼女はタメ口ではあるものの、受け答えもきちんと出来ていてユーモアもあった。ヒステリーになることは度々あったが、冷静に話すとちゃんと落ち着くことが出来た。

-なんで進学しなくちゃいけないの。うちお金持ちなんだよね。働かなくても充分生きていけるし。でも自立しろって、進学しろって言われるんだよね。ダイガクもセンモンガッコウもどれを選べばいいかなんか分かんないし。通ってみなけりゃ違いなんかわかるわけないじゃん。自分で選べの前に、選択をする練習の機会を与えてよ。外側からの良し悪しの判断基準を明確にしてよ。

そっすね、本ッ当ーにおっしゃる通りっすよ。自身の過去を振り返り心の底からそう言うと、彼女は満足そうに鼻に皺をよせて笑った。いつもどこか気怠そうにしている彼女は実年齢より大人びて見えたが、笑う時だけは幼く、花が咲いたように可愛かった。

それ、痛くないのと私が腕を指さして言うと、-やっている最中はそんなに痛くない、と腕を私に差し出した。細い白い腕の内側に無数の傷が生々しく痕をつけている。むき出しの肌に描かれている木の根のような形状の傷。それを見つめる彼女は、感情の無い、まるでガラス玉のような目をしていた。

なんでやるの。と聞くと、-なんとなく。と彼女は答えた。何と言っていいかわからず、そうか。と口をつぐむ。暗闇の中で無邪気に笑った彼女の顔が、あのライターの炎を思い出させた。あれから数か月経ったはずなのに、おじさんの顔が鮮明に蘇る。タバコの匂いを感じるような気がした。

彼女にまとわりつく無数の黒い影。おじさんの背後に見えた悲しみとはまた違う執着と憎悪。彼女は笑ってそこにいるのに、恐ろしい地獄の苦しみの中、身体を振り絞り、悲鳴を上げ続けている様に見えていた。

腕がこんな状態になっていることに、家族が気付かないわけはないだろう。彼女がお金を沢山持っていること、お金持ちだと言っていたことを考えると、親は衣食住の面倒はみているはず。その向こうにある家族との関係性は、どう考えても良いものでは無いのは明らかだった。

彼女が動いている様は、まるでドラマのワンシーンのようで、笑った顔は思わず写真を撮りたくなるほど美しい。私が男性なら、すぐに恋仲になっていただろうと思う。恋がもし彼女を救うのなら、きっとそういう機会は今まで腐るほどあったことが想像できる。とすると、恋愛は彼女が求める救いではなく、解決することはできなかったのだろう。その容姿さえ、苦しみの原因となっているかもしれない。

誰かがこの美しい彼女を真っ黒な苦しみから救いあげてくれないかと、暗闇の中、私はそっと願っていた。他人事のように。


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彼女が珍しく来なかった或る日。

占いの店に電話が入った。彼女からだ。占い師の先輩が、今から家に来てほしいと言っている、と私に心配そうに伝えに来た。うちこういうのやってないと断ったんだけど、声がちょっとヒステリックだったから心配なんだけど。

行くべきではないのは十分理解していたのだが、不安で胸がざわざわしていた。おじさんの顔が目に浮かぶ。もらった住所を見ると、この店から遠くはない、高級住宅街の住所。行ってみます、と先輩に伝えて私は店を出た。

歩きながら、自然と早足になる。最悪の予感が頭にちらついている。着いた先は、とても立派な、近代的なデザインのマンションだった。フロントで部屋番号をうち、呼び出しをする。-はい、と彼女の声が聞こえた(ああ良かった、とりあえず生きてた)

-部屋まで上がってきてと言うのでエレベーターで言われた階まで上がる。ドアはオートロックではなく、鍵はかかっていなかった。彼女は生きている、それは確認したはずなのに、体が震えだした。高級そうな玄関も、高そうなインテリアも目に入らない。鳥肌が立つほどの嫌な予感と共にリビングのドアを開けた時、彼女が広い部屋にこちらを向いて立っていた。

タンクトップ一枚で立つ彼女の腕は真っ赤に染まり、手には剃刀が握られている。床に落ちる無数の血痕。

-動かないで、そこで見ていて。淡々とした声。私を見ると、彼女は無表情で腕をどんどん切り刻み出した。恐ろしいほどの痛みが私を内側から襲い、ほんの数分間のことなのに、私は全身汗でびっしょりになった。冷たい汗がこめかみから頬を伝う。頭がガンガンする。吐き気がこみ上げ、慌てて飲み込む。胸を酸っぱい不快なものが通り過ぎる。

彼女は青ざめて、そして何か決意に満ちていた。痛さを感じないのか、眉ひとつ動かさない。静かな空間で、音もなく、彼女は自分自身を傷つけていたのだ。

その光景は私の感覚を呼び起こし、気絶しそうな痛みが全身を襲った。私は彼女が腕を切るのを、馬鹿みたいに棒のように突っ立って見るという、異常な状況にいた。私を電話で呼び出したのは、見てほしいからか、止めてほしいからなのか、その状況ではもう何も考えられなかった。

視界が暗くなりだした。あ、もうこれはだめだ、気を失ってしまう。ちらちらと星がすでに視えていた。視覚は歪みだしている。気を失う前になんとかしないと。

私は駆け寄り、彼女が制するのを振り切り、剃刀を取り上げる。やめて、と彼女が抵抗したため、手のひらを鋭利な痛みが襲う。スパッと人差し指と親指の内側を深く赤い線が弧を描いた。

その瞬間、視覚が一気にクリアになった。叫びだしたいような痛みの中、一瞬だけ、何か今までにない、救われるような感覚がしたのだ。手のひらの傷を見つめ、ゆっくりと彼女を見る。

だから切っていたんだね、と私が言うと、彼女ははっとしたような顔で私を見て、その場に座り込んだ。

痛いよ、切ってはいけないよ。うまく動かない口でなんとか伝えると、彼女は頷いた。死ぬ程痛いよ。消毒を、消毒をしないと。

-見るだけで本当に痛いんだね、見るまで信じられなかったよ、と彼女はぽつりというと、私の身体を指さした。

気づくと私の身体は水を浴びたようにぐっしょり濡れていて、汗とは思えない量の水が床に滴っていた。実は失禁していたのかもしれない。今となっては思い出せない。

試されたのか…。余計なことを言わなければよかった、と後悔したことはかろうじて覚えている。

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その後のことはところどころ抜けていて、あんまりしっかりとは覚えていない。とりあえず止血を、とおろおろする私を前に、彼女が救急箱から消毒液を出したところまでは記憶があった。私は確か床に座っていた…。

目が覚めると、私の手には綺麗に包帯が巻かれていた。私はいつの間にかあの後床に転がっていた。気絶をしたのかわからないが、何故か眠っていたのだ。

彼女は、と焦って目をやると、私の横に背を向けて寝息をたてていた。腕は包帯が巻いてあった。彼女ひとりで巻いたのだろうか。ああ、生きている…。二人とも床に転がって寝ていたのだ。

眠る彼女はとても幼く見えた。呼吸を確認した時に軽くくしゃみをした。とりあえずの安心感が、またそのまま私を眠りに引き込んだ。私はその辺にあった絨毯をずるずると引き寄せ、彼女にかけると、力尽きてそのまま眠ってしまった。


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気が付くと、あたりは薄暗く、携帯を見ると時刻は午前2時をまわっていた。喉が異常に乾いていた。

部屋の隅で明かりが灯されていて、そのそばで彼女が膝をかかえて座っていた。私が起きたのに気づくと、ミネラルウォーターを持ってきて飲ませてくれた。消毒はしたのかと言うと、頷き、今度はお寿司の折詰を持ってきた。-お腹空いたから出前とってさっき食べた、とぼそぼそと話す彼女。その恰好で出たんすか。-いや上着と下履いたし。

情けないことに私は起き上がることが出来なかった。私のけがは彼女の剃刀を取り上げようとしたときについた手のひらの傷だけなのに。全身が痛みに耐えるために力を使い果たしてしまっていた。彼女は包帯だらけの腕で、お寿司をつまんで醤油をかけると、私の口に押し込んだ。なんだこの状況は。

マグロ美味しい、という私に、-軍艦の方が好き、と彼女。とびこは最高だよね。-間違いない。くだらない会話をしつつ、私は床に転がったまま、二人でその後 深夜テレビの、どこか遠い外国の古い映画を見たのを覚えている。


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リストカットは、彼女の救いを求める行動であったこと。”なんとなく”やってしまう。その奥には、一瞬、楽になる瞬間があるように錯覚してしまう。しかし、痛みはその後恐ろしいほどに襲ってくる。そして、実はその行為は自分の心を切り刻んでいることと同義であること。

寂しさと苦しさから逃れようとする時、人はより、刺激の強さを求める。その瞬間だけは、辛い事から離れることが出来る。または、本当に死なないためにこの行為で歯止めをしている部分もあるのだろう。

痛かったでしょう。-まあね、沢山切ったからね。大したことないし。痛かった?…ものすごい痛かったっすよ。-すごいね、めんどくさい体だね。いや誉めてないでしょ。

好きな食べ物は? -お寿司は好き。しょっちゅう食べてる。じゃあ、沢山食べてよ。太ったっていいじゃんよ。-太るなら死んだ方がマシ。

喋り続ける彼女の横顔は幼く、とても美しかった。テレビの動く影に照らされて、その度に瞳がきらきらと暗闇で光った。

そしたらなんか違うことしようよ。他の事を全部試してみようよ。流行っているもの、片っ端からやってみてよ。ヨガやってみたらいいじゃん。-やだよ怪しいから。(※その時代はまだ今ほど一般的ではなかったのです)

私は情けなくも床に転がりながら(←動けない)、彼女とだらだらと話し続け、また眠り、次の日の朝帰宅した。そして高熱を出して数日寝込んだ。

痛みは繰り返し押し寄せ、全身を切り刻むようだった。私は熱にうなされながら、トイレに起きてものすごく遠くに見える床を見ながら、現実でも、夢の中でも、祈り続けた。


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神様、どうか彼女が救われますように。

この痛みから解放されますように。

苦しんだ分、誰よりも幸せになりますように。

この想いが、星に届きますように。


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その後、彼女がどうなったか。苦しみから私が救えたのか。現実はファンタジーではなく、そんなにがらりと状況を変えることは出来なかった。取り巻く状況は変わらなかったし、その中、彼女は苦しみにもがきながら、ひたむきに生き続けていた。

彼女から送られてきた、幼い子供の写真は私の宝物として、棚の上に飾ってある。美しいその面影の向こうに、彼女が笑って生きていることを、私は今でも願っている。


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