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エコバッグにアゲハ蝶🦋‪


私の母は、静かなひとだった。
余計なことは言わず、誰かを責めることもせず、
いつもただ静かにほほえんでいる。そんなひと。
そんな母が子宮頸がんで亡くなってから、丸6年が過ぎようとしている。


まだ6年?いや、もう6年か。早いな。


この6年の間に色んなことがあった。
母が生きていれば起こらなかったであろう出来ごと。
母がいなくなったからこそ起こった出来ごと。
どの出来ごとも、私の人生には必要なことだったんだろうと思う。母の死も含めて。


でもさ、お母さんが生きていてくれたらどんなに良かっただろうな。
もし生きていてくれたら、誰よりも孫の誕生を喜んでくれただろうな。
天国から見ていてくれてるかな。見守っていてくれたら嬉しいな。
お母さん、いま私は、お母さんに聞きたいことがいっぱいあるよ。
…私が8ヶ月の時には何をして遊ばせていたの?
…毎日どんな気持ちで子育てをしていたの?
…私が初めてハイハイした時、嬉しかった?
…ねえ、お母さん。お母さん。


「…なーんて、答えてくれるわけないか。」

仏壇の中央よりやや右側で、いつも優しく美しくほほえんでいる母に手を合わせるたびに、こんなことを繰り返している。6年間、ずっと。


感傷に浸ってる場合じゃないぞ、私。
明日の七年忌の準備をしなきゃ。

事前に記入しておいた買い物リストを手に取り、
ハイハイの練習にいそしんでいる息子に声をかけた。





行きつけのスーパーに着いたらまず最初に行うこと。
それは、抱っこ紐を装着すること。
約8kgの息子を抱えながらの買い物は、なかなかしんどいけれど、だいぶ慣れてきたように思う。

買い物かごを手に取る。
それをカートに乗せる。

じゃがいも、トマト、にんじん、豆腐...
あ、そうそう水菜も買おう。
あったあった...え?1束198円?
ちょっとお高いなぁ。どうしよう。
そうだ、やっぱりレタスにしよう。1玉128円。

「よし!」

今日のサラダはレタス山盛りだ。



野菜コーナーを抜け、
お惣菜コーナー
精肉コーナー
パンコーナー
と、いつものルーティンで店内を回る。

1番テンションが上がるのはパンコーナーだ。
いつも必ず買う大好きなパンを手に取る。


そうそうこれこれ。
このほどよい甘さが堪らないのよね〜。


なんて思っていたら、抱っこ紐の脇から小さくて可愛らしい手が伸びてきた。
生後8か月の息子は、最近、どんなものにも興味津々だ。
なんでも握ろうとするし、なんでも口に入れる。
パンの袋のカシャカシャする音に興味を示したのだろう。


「これはママが食べるパンだよ。」

そう伝えてからパンを渡した。
小さくて可愛らしい右手がそれを掴んだ。
口に入れようと何度かチャレンジするも、
抱っこ紐の構造上、それは出来ないらしい。

小さな手があまりにも力強くそれを握っているので、
しばらくの間、握らせておくことにした。


「それはママが食べるパンだからね。」

何でか分からないけど、もう一度そう伝えた。



ほかに何か買うものあったかな?
無ければもうレジへ向かおう。

そう思いながらカートを押していると、
黒くて大きい何かが視界の端にチラチラとうつった。

天井を見上げると、大きくて美しいアゲハ蝶が飛んでいた。


わぁ、アゲハ蝶を見たのっていつぶりだろう?
それにしても綺麗なアゲハ蝶だなぁ。
このアゲハ蝶はどこからきたんだろう?
そして、どこへ行きたいのだろう?
それとも、何か探し物をしているのかな?


優雅に飛んでいる、というよりは、何か恐る恐る飛んでいるような、もしくは何かを探しながら飛んでいるような、そんな感じがした。


しばらく見惚れていたが、
ガサッ、と音がしたので我に返った。
音がした方を見下げると、パンが落ちていた。


「ああ、ママのパンが落ちちゃったねぇ。」

支払いを済ませていないので、厳密に言うと今は未だ私のパンではない。
だが、あと5分もすれば私のパンになるので、息子にはそう伝えて、それを拾い上げた。


レジを抜け、購入した商品たちをパズルのように楽しみながらエコバッグに詰めていく。


まずは重いものから。
じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、レタス…
よし、次は軽いものを入れていこう。
潰れるのが嫌だから、私のパンは最後に入れよう。




...パタパタパタッ!!


一瞬、何が起こったのか分からなかった。
大きくて黒い何かがエコバッグの中に入ってきたのだ。
そして、じゃがいもの上で、その美しい羽根を休ませている。


「うわ!ビックリしたぁ。」

さっきのアゲハ蝶だ。
...近くで見ると思ったより大きいな。

昆虫があまり得意ではないビビりな私は、テンパリ散らかす。
となりで袋詰めしているサラリーマンが訝しそうにこちらを見ていようが、抱っこ紐の中にいる息子が不思議そうに私を見ていようが、関係ない。


うわ、どうしよう!
アゲハ蝶って、毒持ってないよね?!
アゲハ蝶って、咬まないよね?!
え、連れて帰ったほうがいいのかな?!
てゆうか、アゲハ蝶って何を食べて生きてるの?!


見事に脳内がパニックを起こしていた。

そんな脳内パニックアラサー女子のテンパリ具合を察したのか否か。
その大きくて美しいアゲハ蝶は、5秒間ほどじゃがいもの上で羽根を休めたあと、優雅に飛び去っていった。


「ああ、よかった。」

ホッとして、またパズルを開始した。


しかし、店内はこんなに広いのに、なぜわざわざ私のエコバッグに入ってきたんだろう?
…そんな疑問を持ちながらも、息子の離乳食の時間が迫っていた私は足早にスーパーを後にした。





帰宅してからも、アゲハ蝶のことが頭から離れなかった。
息子も寝静まり、もろもろのやるべき事を済ませベッドに入った時には、すでに日が変わってしまっていた。

今日はお母さんの七年忌だから、朝早く起きるためにも急いで寝なきゃ。
そう思えば思うほどなかなか寝つけないのは、アゲハ蝶のせいかもしれない。
再度、同じ疑問が浮かぶ。

店内はあんなに広いのに、なぜあのタイミングでわざわざ私のエコバッグの中に入ってきたんだろう?
そういえば、あのエコバッグは、元々お母さんが使っていたものを私が貰ったんだったよな。
ちょっとボロくなってきたけど、まだまだ使えるしお気に入りなんだよね。
…そんなことを考えていると、


「ふぁ〜。」

あくびが出た。あぁ、やっと眠たくなってきた。
ひつじが1匹、ひつじが2匹、ひつじが3匹、ひつじが4…ひき……




…ああ!分かった!!!


もしかしたら、あのアゲハ蝶はお母さんだったのかもしれない。
死んだお母さんが、大きくて美しいアゲハ蝶に生まれ変わっていたんだ。
うん、そうだ、そうに違いない。
きっと、一緒に家に帰りたかったから、だから私のエコバッグを選んで入ってきたんだね。
なんで気づけなかったんだろう、私。
ごめんね、お母さん、気づけなくてごめんね。
お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。


勝手な妄想をして、ただのアゲハ蝶を想い涙している私は、頭がおかしいのかもしれない。
でも、大丈夫。
息子は既に深い眠りについている。
誰も見ていない。
今のうちに思い切り泣けばいい。

ふと時計を見ると、午前2時9分。
ちょうど1年前に、母が息を引き取った時間だった。





母がこの世を去って丸6年が過ぎた。
今日、無事に七年忌を終えることが出来た。
家族と親戚だけで、こぢんまりと。
とても楽しい時間だった。
あの大きくて美しいアゲハ蝶は来てくれなかった。

またいつか逢えた時には、手のひらでそっと包み込んで、こう言おうと決めている。


「おかえりなさい、お母さん。一緒に家に帰ろう。」


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