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友人にお題をもらって役に立たない話を書くシリーズvol.9「推すとは」w/ いわはしさん


読書好きの文章好きな私の現在地

読みたいもの書きたいこと

私、子どもの頃の趣味は「読書」と言ってました。とりたてて言うことないし、読書と言っておくかーという感じではなく。ガチでめちゃくちゃ本を読む子どもでした。小学生のとき、読んだ本を貯金みたいに書き込んでいって、一定の期間終わってだれが一番本を読んだか…みたいなイベントがあったときも、足りなくなって紙をつぎ足しまくってました。たぶん1位とか2位とかそういう感じだったような記憶がある。

圧倒的に小説派

大人になって、なんとなく必要に迫られてビジネス書とか読むようになりましたが、元も今も圧倒的な小説好き。創作の世界、非日常、自分とは違う人物や環境に自分を投影できる、そういう世界が大好きなのです。特にミステリー好きで、推理小説も好きでたくさん読んできました。仕事が忙しすぎた時期に日常的に本を読む習慣を残念ながら手放してしまったので、今は昔ほど読めてませんが、今だに大好きではあります。本屋さんで本を選ぶ時間はすごく好き。

読みたい本が積まれていく

今はいろんな人にすすめてもらった本などもあって、だんだん次に読む本が積まれて行ってます。なかなか進みませんが、ちょっとした愉しみを日常に携えて生きている感じはとてもいい。ちょっとずつ自分のペースで読んでいきます。今年は結構書きたいことは、このnoteのおかげでいろいろ書けているような気がします。でも今週、1つ思い出したことがあります。

書きたかったのに書いていないこと

実は2年前、実の父が亡くなりました。父に対しては複雑な感情があったので、亡くなる数年前そんな自分の気持ちを率直に文章でまとめたことがありました。泣きながら文章を書き、自分の心を少し理解できた気がして、書いてよかったなと思いました。亡くなった後、その死をどう受け止めて、父に対してどういう感情になったのか、きちんと文章にまとめたいなと思っていましたが、結局ちゃんと書けずに今に至ります。近いうちに書こうとあらためて思いました。書きたいことも少し積んで置いておきます。

本日もお題をくれた友人の紹介、お題からインスパイアされた役に立たない話でいきます。「意味がない、役に立たない話」に無駄に意味を付け加えないように(笑)、基本的には一筆書きで、ほぼ書き直しなしで書き上げようと思ってます。意味のなさを、役に立たなさを、楽しんでいただけたら嬉しいです。

今回のお題提供者:いわはしさん

今回のお題提供者はいわはしさん。ぐっと仲良くなったのは実は結構最近ですが、同世代で好きなものが同じ(近い?)なので、話が合って、最近とても仲良しな一人です。出会いはコワーキングスペースで、同じ場所で働いていることがきっかけです。いつも激務でめちゃくちゃ仕事をしまくっているイメージ。している仕事も、今の立場も、これまでの生きている環境も違うけど、そんな違いも含めて楽しい時間を過ごせてます。大人の友だちっていいなーと思わせてもう今日この頃。

同じものを推す同士

そんないわはしさんからもらったお題は「推すとは」。同じものを推す同士、推す談義をしたりもしてますが、さてさて、そもそも推すってなんだろね、なんてお話をしたことがきっかけでお題をいただきました。人によっていろんな想いや解釈がきっとあると思いますが、私なりの推すを考えてみたいと思います。まじで役に立たないいいお題をありがとう(笑)。

本題「推すとは」w/ いわはしさん

好きなものがたくさん

最近好きなものがたぶん増えました。仕事に追われて、人のことばかり考えて生きていたときは、本質的な自分が心から欲する「好き」くらいしか相手にできなかったのですが…たとえば美容とかメンテナンス系とかかな。コロナ禍を経て今の働き方にたどり着いて、人生の余白が広がって、アニメとか、アーティストとか、食べ物とか、好きなものが生活にたくさん現れて、そしてそれを自覚することができるようになった気がします。今はなんか、好きなものに囲まれて生きているなあ。

推しているもの

読んでいる人は読んでくれているかもですが、この役に立たない連載と別で「推しアロマ」というシリーズも始めました。まだ一回しか書けてないけど(笑)。そこで書いたのは、「GOATの香り」で、number_iが好きです!という話を書いているのですが、それ以外にも「進撃の巨人」もおそろしく推しています。ハラの進撃好きの方が一部では有名です(笑)。他にも人でもアニメでも物でも、いろいろありますが、割愛。

推しが転じて愛憎

友人ともちょこちょこ話すのですが、推すゆえに、推してる相手に文句みたいなこと言ってしまったり、推し以外を批判したり…っていうのも特にSNSだと見かけたりもするけど、それは悲しいなーと思ってしまいます。私にとっては、推しは、遠くからひっそり。でも強く、ただただ平和に好きでいたい人。愛憎とか芽生えるのは、身近な相手くらいでよくないかい?遠くの人にまでそうなったら私はつらいよ…。

友人にとっての「推す」

お題を提供してくれたいわはしさんにとっては、推すは「自己投影」なんだという解釈を教えてもらいました。推しの好きなところは自分がこうなりたいと憧れる姿。結局私って私に興味があり、私のことが好きなんだーと愕然とした、という話を聞かせてくれました。思ってもみなかった角度だったので、解釈としてとてもおもしろい!と思いました。でも言われてみれば、鏡で例えられることもありますが、人間関係はきっと自分と相手を投影しあうことで成り立っている。そう思えば推しと自分の関係性も一方的な自己投影とも言えるなと、納得できる気がします。

思い出した言葉がある

前説でも書いたけれど、私、推理小説とかミステリー小説好きでして、恋愛小説とかはほぼほぼ読んだことないのです。でも何年か前、久しぶりにこれ読みたいと思って読んだ恋愛小説がありました。ちょっと過去のメモを探ったけど、タイトルも実際の言葉も出てこなかったのですが(笑)、覚えている限りざっくりこんな言葉だったと思います。

彼を好きな自分を好きでいられるか

自分がどんなに好きでも相手はコントロールできない。心変わりもある。相手も自分も変わるかもしれない。好きという気持ちは不確かで基準にできるものがない。究極のところ、「相手のことを好きな"自分”を好きでいられるか」だけが確実で、判断基準になるものだ。みたいな感じの言葉だったと思います。

結局は「自分」に軸を置くしかない

これだ!!!と思ったんですよね。恋愛なんて不確かで変わりやすいもの、何一つ頼りになるものがないこと。いい人だから好きになるわけでも、正しいから好きになるわけでもない。ダメ男がどうにもかわいくて仕方ない事実だって、否定できないじゃないか。そう思ったときに、「自分が自分を好きでいられるか」は感覚的だけど決定的な唯一信頼できる感覚なんじゃないかと思うんです。

この推しを好きな自分が好きか

そう思うと、これは推しにも当てはまるんじゃなかろうかとふと思いました。遠くでひっそり好きな推しは、私にとってはそんなにディープでなくて結構ライトな感覚で好きなのですが(これは人によることも分かってる!ディープに好きな人の方も多そう!笑)、「かっこいいー!」とか言いながらSNSの動画を永遠みちゃう自分、バカだなーと思いながら結構好きだし。推しのポスターや広告を見に、わざわざ遠くまで足を運ぶ自分も、かわいいやつめと思える。この推しを推してる自分、なんかいいな。そう思えることが私にとっては推しであり、推すことなんじゃないかなと思います。

今日、落選したライブの「リセールサービス」なる案内が来て、心が湧きたちました。そんな日にこんなお題で書けて、はい。
今日も私は幸せです。


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