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人と暮らすことを選ぶ

家族で過ごすことの意味ってなんだろう?
あんまり考えることがないと思うが、考えるという行為をすることに意味があると思う。私の家族とのやり取りから自分自身と置き換えて考えてもらえたらうれしい。

一人暮らしがしたい

一人暮らしをしたいこの頃。
人と暮らすことの意味について考える必要があった。
一人で暮らすことによるメリットばかり考えていて誰かと暮らすことに対して嫌悪感を覚えてしまっていたからだ。

そこで母に言った。

一人暮らしをしたい

すると

(少しの間があり)

無理でしょ

分かっていた、そう言われることは。

母の言い分は「一人暮らしをすることは大変だ」ということだった。それはわかっている。経済的に自立していない私にできるはずがない。しかし、私は社会人になってから一人暮らしを始めたいのだと言った。

それでも母の答えは変わらない。

私は父が帰ってくると、同じ質問をした。

すると

いいよ。でも社会に出て2年くらいたってからね

という条件つきだった。

家族の存在

家族と表現したが、恋人や友達の場合もあるだろう。
人と暮らすことは苦しさを伴う。もちろん楽しいこともあるけれど。
少なくとも人と暮らすといろんな感情を持つことになる。はっきり言ってめんどくさいのだ。

私はこの後家族との血みどろの口論を行った。
その結果分かったことがある。

家族は偉大。

父は言った

今一人暮らしをするのはダメだ。社会人になっていろんな悩みも出てくるだろう。不安定な時期に話を聞く人がいたほうが安心だろう。上司や同期に相談するのもいいが、言いづらいこともあるだろう。社会に出て2年くらいたってからにしなさい。

確かに。

家族は偉大だ。嫌なことがあっても相談できる人がいるというだけで心強いものだ。思春期のころの自分は何かあればすぐ家族に相談していた。それは今も変わらないが。

他人と暮らすということ

今はこのご時世により帰省が長引き家族と暮らしているが、実は寮暮らしだ。
寮といってもマンションの一角で大学の後輩と住んでいる。友達によく言われるのが、寮どうよ?ルームメイトと暮らすのってどうなのよ?

実際とても楽しい。毎日が修学旅行みたいといったらいいすぎかもしれないが、楽しい。もちろん人間だから相手に思うところもあるが他人だからしょうがないよな、と思えてしまう。

他人と暮らすことと家族と暮らすことの大きな違いは相手を客観的に見れることだと思う。客観的に相手を観察し、自分の相手に対する言動も客観視できる。あくまでも他人なんだと思えるからだ。

家族に対する接し方の変化

他人との共同生活を通じて分かったのは客観的に相手と自分を見ることでトラブルを減らせるということだ。これは家族にもいえる。家族に対しても客観的に観察し、自分のことも客観的に見る。この癖をつけると言いたいことを相手にしっかり伝えられるし、相手に自分を分かってもらえるようになる。

接し方を変えることですべての家庭やその他の人間関係の問題がすべて解決するわけではないしそれを望んでいるわけでもない。むしろ接し方を変えるだけで怒りをはじめとする強い感情が和らぐということ、その事実を知ってほしい。その事実を知ることで少しでも共感し心が安らぐ人がいればこの記事を書いた意味があると思っている。

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