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また今日も同じメニューといううれしさよ

美味しいご飯も毎日同じメニューだと飽きてしまう。そんなときふと口を滑らせる言葉がまたこれか、だ。

私の書くエッセイに度々登場する母は料理上手な方だと思う。高校時代ほぼ毎日もたされたお弁当はキャラ弁も多く、映画「今日も嫌がらせ弁当」のようなやり取りも日常茶飯事だった。

またこれか、という言葉はマイナスワードではあるものの、言葉の本質はポジティブだ。またこのご飯がたべられるというのは、とても幸せなことだろう。今日も明日も明後日も同じものがたべられる。言い換えれば、今日も明日も明後日も同じ人がつくってくれるということである。

昔私の母の実家では金曜日は刺身の日だったときいて、うらやましくおもったことがある。よく考えたらそれはないものねだりで、きっとその頃の母はまた刺身か、と思っていたにちがいない。

今日もきっとまたこれか、と思う食卓だ。決してまたこのメニューなのかという意味ではなく、またこの人のご飯がたべられるという意味でだ。

読んでくれてありがとう。
またこの人のお弁当もたべたい。

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