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推しと私のこと

※話が重いですが、これは絶望的な話ではないです。
※とはいえ重いので、自己責任でお読みください。
※下記は私の見解であり、推しの人格を断定するものではございません。ご了承の上お読みください。


推しが兵役に行くことになった。

いつかはそんな日が来るとわかっていたことだ。
寂しさはあるが、避けられないことだ。
泣いて喚いても覆らないことに騒いでもしょうがない。


他人から見ると、冷たく見えるのだろうか。


思い返せば昔からそうだった。

「今日は小テストをやります」

そんな先生の言葉にブーイングをする同級生。


理解が出来なかった。

嫌だと言ってやめてもらえるわけもない。
出来ようが出来まいが、受けるしかない。
そう思っていた。


そもそも私は感情の発露が苦手だ。

別に口数が少ないわけではないので
俄には信じられないといった顔をされることも多いが、
喜びも悲しみも驚きも、表に出すことを躊躇してしまう。
(怒りだけは別なのが非常に厄介だ。)


自分の内側を見られることが、怖い。


10代の中頃から、20代と別れを告げる頃まで、
こんな性質に拍車をかけるようなことばかり起きた。

親友と同じ人を好きになった。
彼女はそれを隠していた。
何も知らない私は、バカみたいにベラベラ相談していた。
親身になって聞いているふりをして
私がフラれた翌日には告白して、2人は付き合っていた。


私は、大事なことを他人に相談するのをやめた。


我が家には問題が山積みだった。

祖母は全てを否定から入る人で
人が傷つくことを平気で言うような、
地位と金で人を判断するような人だった。
父は自己主張が出来ない人で
家庭内の空気に耐えられなくなると酒に逃げた。

マトモなのは母だけだった。

私と母がいくら手を尽くしても問題は解決しなかった。
我が家はバラバラになった。
父と祖母が今どこでどうしているかも、知らない。


私は、他人を変えようとすることを諦めた。


母方の祖父が亡くなった。
しばらく会えていなくて、私に会いたいと呟いていたと
従姉妹から聞いていた矢先のことだった。
未だに後悔しか、ない。

仕事の合間を縫って青森へ向かう道中、
高校時代の友人から近々会おうと連絡が来た。
事情を伝え、今は難しいから私抜きで、と伝えた。

慰め、或いは労いの言葉が返ってくると思っていた。

しかし返って来た返事は、
「それはいいから早く日にち決めてよ!」
だった。

初めて、自らの意思で人と縁を切った。

私は、他人に期待することを、やめた。



ここまで読んで、推しをよく知っている方なら、
察しがついているかもしれない。


私は、どうしても自分と推しを重ねてしまう。


難しい、面倒臭い、拗らせてる、
全て推しに対して自分も発したことのある単語だ。

それが全て自分に跳ね返ってくる。

感情を外に出さないことが多くなり、
当たり前に溜め込むことが多くなった。

溜まった澱がいっぱいになれば、当然、
行き場を失って暴発する。

当時の私は年に1回くらいのペースで
些細な、くだらないことをきっかけに
信じられないくらいぐちゃぐちゃに泣いていた。


20代前半に今の会社に入り店舗で勤務していた私は、 
すぐ荒ぶる人、気弱な人、悲観的な人などの
間に立つことが自然と多くなっていた。

そして20代の終わりに結婚した。


結婚式で当時の店長に言われた言葉がある。

「客観的に、平等に人を見ることができる」

ああ、意図せず身についてしまった

このどこか冷めた目も

俯瞰してしまう性質も

無駄ではなかったんだ、と

何かつかえが取れたような気持ちになった。

つかえが取れると澱は溜まることなく
蒸発するように、自然と消えていくようになった。
無理のない程度に感情を出す術も身につけた。


そして、私は泣かなくなった。



私が世の中から遅れること約半年、最初に推しを見た時
特段好みのタイプでもないのに目についたのは
同じ年の頃の自分と無意識に重ねていたのかもしれない。

一見冷たくも思える程、冷静に周りを見ている人。

なのにすぐに感情移入して泣いてしまう人。

そしてその頃既に戻って来ていた推しは、

涙を見せない人になっていた。

彼がいつかの私のように見えない所で泣いているのか、
全く泣かなくなったのか。

それを知る術はない。


ただ、先日の柱の話を聞いて、

ああ、彼を再び見た時には、
彼の中にも柱が出来ていたのだと

そしてあの日、私の中にも柱が出来ていたのだと

ふっ、と思った。


「君へ」の歌詞がよぎる


「これは絶望的な歌です」

そう、彼は言った。

けれど、この話が絶望的なものではないように
この歌も絶望的なものではない

と、私は思う。

一人で勝手に、思う。


いつか、

「他人に相談して良かったことがない」
「だから自分のことは自分で決める」

という発言があった時、
「心配」「可哀想」と言った声をたくさん目にした。

私が同じ質問をされたら同じように答えるかもしれない。

でも、私は人が嫌いなわけではない。
大好きな人がたくさんいる。

失望したくないから予防線を張っていることは否めない。
過去の経験からそういう発言をしてしまう気持ちも、
わかる。

それでも、良いことも悪いことも含めて、
今まであった出来事、出会った人、全ての影響があって
今の私の決断がある。

私は今、幸せだ。

彼もきっと同じだと、勝手に思う。

だから私は何も心配はしていない。

誤解されたくないと言うけれど、
誤解する人が嫌なのではない。

期待しないと言うけれど、
他人を理解するなんて不可能だと知っているけれど、
自分の意図を、意思を正しく知って欲しい。

どうでもいい人には、そんなことは言わない。
自分と重ねて、勝手に、そう思う。



忙しいけど幸せだと笑う彼には

びっくりするくらい温かい仲間がいて

それを見て幸せだと笑う私たちがいる。


私の感情を動かしてくれた彼に、彼らに、

一分一秒でも多く、幸せだと思う瞬間が訪れることを

願ってやまない。

離れていても。どこにいても。



みーこ🌎







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