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職場のこと・・・②ここで働くという意思を貫こうとした

この物語の最初の記事はこちらです。


湖桑庵で働くことが決まり、年が明けたら運営についてのミーテイングをすることになっていた。
新年早々、まだ会ったことのない店長候補の20代の青年はどんな人なのか、何を決めてどんな風に運営していくのか、私自身は何も考えていなくて、彼らにお任せするつもりだった。

私にここで働かないかと声をかけてくれた人は、以前お世話になったカフェで一緒に働いたTさんと言う30代の男性で、本職が有るので、こちらには夕方から夜と、土日は入ることになっていて、その人のお誘いで、店長候補の人も決まっていたのだったけれど、その日のミーテイングで、その店長候補の人は関わらないことになったと聞かされた。
と、言うことは私がメインで入る事になるのだ。
え???と思った。それについて、オーナーからは特に説明はなく、とりあえず、3人で厨房の設備や店内の備品、テーブルや椅子、カーテン、メニュー、定休日、営業時間など全てを決めていくことになった。

そこから、私のモヤモヤが始まった。
確かにカフェをメインで運営できるのは魅力的かもしれない。自分の気に入るように全てを決めていけるのだから。もし、私が以前からカフェをやりたいと考えていたなら、自分なりのやり方が既に決まっていたのだろうけれど、私はそうではなかった。もっと若い頃、例えば30代40代なら、ケーキを焼くのは好きだったし、シフォンケーキや、アップルパイを知り合いのカフェに出していた事もあった。

でも今は、パートで一日5、6時間くらい気楽に70歳くらいまで働けたらいいと思っていて、その頃の職場は、年末年始の休みもお盆もないので、もうそろそろ、人並みにカレンダー通りの休みが欲しいとも思っていたから、今更サービス業に転職で、メインで働くなんて選択肢になかった。
まず、何をメニューにすればいいのかわからなかったのだ!!
その時点で、引くこともできたのだけれど、何かに引っ張られるように、私はここで働くという意思を貫こうとしていた。

不思議なことに、不安だらけの開店準備だったにも関わらず、私は前に進もうと度々のミーテイングを呼びかけ、春のオープンに間に合わせるように、前職に辞表を出し、オーナーに言われるままに、3月後半から毎日琵琶湖のほとりの静かな古民家に出かけて行った。

私の不安は琵琶湖を眺めていると、これでいいんだ、大丈夫なんだって思えた。

でも、現実は、あの時やめていたら・・・ってその後何度も思ったほど、困難な状況が次々と押し寄せてきたのだ。

続きはまた・・・

読んでいただきありがとうございます。


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