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出産したら死にたくなったママの話⑨〜入院編

退院するために良い患者でいようとふるまい、
結果、娘が6か月の頃に退院することができました。
もちろん1人では家事や育児ができないため
ヘルパーさんや訪問看護師さんを病院のソーシャルワーカーさんに調整して入れてもらいました。

でもまだ症状は続いています。

その時のことを私はあまりよく覚えていないのですが、
ニコニコと子どもの世話はしているものの
時々ぶつぶつ言って急に笑ったり
聴覚障害の友人が遊びに来ると聞いて
まだ乳児の我が子に手話で話しかけたり
かなりおかしかった様でした。

そして
ある日突然
もう1人子供がいる、男の子がいると言い薬を飲まなくなり
なかなか睡眠も整っていなかったことから
実家の両親の説得のもと今度は
任意入院(自らの意志で入院)することになりました。
(後にまたエピソードに出てきますが
実際そのあと私は男児を出産し、薬も服薬しなくて済むようになりました)


そこから再入院し薬も多少の調整がありました。
正直妄想状態がいつ消えたのかは分かりません。
ただ『外で普通に生活するためには薬を飲んで普通にふるまわなければならない。』
その気持ちだけで毎日を過ごしていました。
薬を飲む様になったことと大きな妄想が見られなくなったことから
3か月入院した後退院することができました。

アカシジアと呼ばれる症状や不眠は続いていましたが
子どもと家で普通に過ごすことができること、
子どもの行事に参加したり家族の誕生日を祝ったり
そんな日々が嬉しかったです。
また相談支援事業所を介してB型事業所へも行っていました。

しかし、現状は夫婦と子どもでの生活は難しく
実家の祖母が沢山支援してくれている中で
仕事も復帰することは難しいだろうという事になり
実家の方に家族で引越しすることになりました。

そして転院するなら実家の近くの有名な先生がよいと希望し
現在の主治医に出会ったことで、
統合失調症や統合失調感情障害だった病名は
双極性障害と不安神経症になり
薬が1錠になりました。



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