「鬼滅の刃」を見た。ちゃんと生きようと思った。
情熱の引火
「鬼滅の刃がヤバい」と自宅にこもっているだけの私の耳にも入ってきた今日この頃。
私にとって毎年恒例のコナン映画が来年に延期となったときから、2020年は失われた1年になり、ただ淡々と今日までかろうじて生きてきました。
「鬼滅の刃がヤバい」とかなり前から聞いておきながら、鬼が出てくるってちょっと怖いな...なんて、第一巻からジェットコースターで人間の首が飛んでいく漫画を大好きな私が不自然なことを思い、これまで漫画もアニメも知らぬまま過ごしていたのですが、なんだか日本中がざわついていて、ようやく鬼スタートした映画を見ようと数カ月ぶりに映画館へと足を運びました。
ちなみに映画鑑賞前、末次由紀さんのnote記事を読んでいた。
この作品は間違いなく、多くの人に引火する「情熱」を備えていて、そしてこれを出会いに、人生が変わる人がたくさん出るだろう、と。
「情熱」は「引火」する。そのとおり、私の情熱にも少し引火したので、鬼滅の刃を見て、打ちのめされた感想を記録しておく。
噂に聞いていたとおり、小さな子からご年配の方まで幅広い年齢層のお客様が映画館をいっぱいにしている月曜日の15時、都内映画館の光景としては異常だ。本当に「鬼滅人気ってすごい!」と、まだ何も始まっていないのに圧倒された。
悪夢の終わらせ方
時々生きていると、これが夢だったらいいのになーという瞬間に出会う。そしてあの時こうしていればよかったという分岐点を、人は生きていれば持っているものだと思う。
炭治郎くんにとって戻りたい分岐点と後悔はあの日にあるはずなのに、あの日に背を向け、人間の弱さを断ち切り、前に前に進んでいく。強すぎる。
人生の歯車が大きく変わっているのに、現実との対峙の仕方が凄まじい。私にはできなかった。
今年の春からずっと、悪い夢を見ている気分だった。日常が変わって、いろんなものを失って、裏切られ、傷ついて。でもそのことを忘れようとするばかりで、時の流れがすぎることだけを待っていたのだけど、悪夢は自分で断ち切るしかなかったのだなと思う。素直にちゃんと生きようと思った。
失ったものがない人はいない
人は、人や言葉との出会いで人生は変わると言う。だったら、この作品がたくさんの人に影響を与えているなら、どんな人にも過去があって、傷がある、ということを理解できたはずと信じたい。
これまで出会ってきた人も、そしてこれから出会う人達もきっと傷をおったおんなじ人間で、みんな傷つきながら生きていて、その傷を強さにするか、優しさにするか、はたまた他人を攻撃する刃に変えるか、それは自分で選べるわけで。
失ったものばかり数えるなと、なんかどこかで聞いたことはあるけど、まだ未熟な私は失ったものばかり数えてきました。
ちょっと私は映画館を出たあと、情熱を持って生き直そうと思いました。まだコナンの映画を見てないし。生きていれば見れるし。
私の好きな作家の一人である辻村深月さんの言葉に
大好きで夢中になれる「何か」を見つけてほしい。それはきっと、海に投げ出された時にしがみつけるブイのように、つらい現実に溺れそうな自分を救ってくれる。
という言葉がある。
きっと「鬼滅の刃」という作品は誰かの『ブイ』となるはずです。
そういう誰かの生命線にもなりうる作品に出会えてよかったなと思います。またAmazonPrimeでアニメを見返します。
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