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おにぎりとサンドイッチ

日々育児をしている中で、「私、お母さんになったんだなぁ…」と思い出したかのように実感が訪れる瞬間がある。


先日、息子の初めての遠足があった。行き先は近くの公園で、家から何度も行ったことがある場所だったが、遠足という人生初めての未知なるイベント、普段は毎日泣いて登園している息子が明らかにとても楽しみにしていて可愛かった。

息子が選んだトーマスがプリントされた小さなお弁当箱に、せっせとおにぎりとおかずを詰め込んでいる時にもまた母実感の瞬間が訪れた。

食べやすいように工夫を凝らし、可愛いピックを使い、タコさんウインナーに小さな黒ゴマで目を付けるなどして、息子の好物を詰めていく。毎日作る夫のお弁当とは、天と地の差である。こちらとて "息子の遠足のお弁当を作る" のは人生初なのだ。気合いも入る。


私がクラスメイトと遠足に行くことはもう二度とないが、これからは我が子のイベントを一緒に準備をして一緒に楽しみにできる。帰ってきて話を聞いたり写真を見ることで、思い出を共有させてもらえる。息子や娘を通して、二度目の幼少期時代をこれからまた歩めるようで、未来に楽しみが差す。

と同時に、事あるごとに自分の子供時代のそれを思い出し、その時の母の気持ちをなぞっていることに気が付いた。


遠足の前の日、母はいつも「お弁当、おにぎりとサンドイッチどっちにする?」と聞いてくれた。わたしは毎回悩みに悩んで、その時の自分の気分を探り抜いてリクエストをした。翌日、シートの上でお弁当を開けると、それがちゃんと入っていてとてもとても嬉しかった。

あの時の母も、今の私と同じ、お弁当を開けた時に喜んでほしい、美味しく食べてほしい、遠足を楽しんできてほしいという思いだったのだなと気付く。

このように、日常の中で何かの拍子に忘れていた母とのワンシーンを思い出すことが多々ある。今の私が、一際よく思い出すのが、幼少期、父が仕事で帰りが遅い夜のこと。

母がたまに、玄関を出てすぐの廊下(集合住宅の5階に住んでいた)で静かに外を眺めていることがあった。幼き私は、お母さんがどこかへ行ってしまう!と不安を抱き、行かないでと泣いて追いかけた。母は私を抱き上げ、そのまま一緒に外を見た。母の腕の中は世界で一番安心できる場所だった。少し遠くに見えるマンションの部屋の明かりを見て「あそこは誰が住んでいるのかな?あっちは電気がついていないね、おばけさんの家かな?」などと話していたのを結構鮮明に覚えている。

今ならわかる。母もいっぱいいっぱいだったのだ。父の帰りが遅く、一人で育ち盛りの三人の子の相手をする。お茶をこぼしたり、一生懸命作ったご飯を食べなかったり、喧嘩をし始めたりもしたのだろう。それらの対応に疲れてもうどこかへ行ってしまいたいが、子を放って行くこともできず、精一杯の逃避が、玄関前の廊下だったのだ。ただ、静かに一人になりたかったのだ。今の私なら、わかる。

結婚して、親になり、今ならわかることが増えた。散りばめられた伏線を回収していくかのように、そうだったのかと手に取るようにわかることが。そうしてやっと、あの時の、30年も前の母の気持ちに寄り添うことができる。30年前の母を救いに行く気持ちで、お母さんになった自分を頑張ることができる。

この先、まだ何年も育児が続く。幾度となく訪れるであろう母としてお子たちへの愛を感じる度に、母から貰っていた愛を思い知る。

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