見出し画像

ゆっくりと時間をかけて戻ってきた

先日、数年ぶりにジャム作りをした。弱火でぐつぐつと煮詰まっていくジャムをゆっくりとかき混ぜながら、自分がジャムを作っている今、に驚いた。

子を産んでから数年間、少しでも時間があれば「だらだらしたい」という感情しか出てこなかった。寝転んでスマホを見る、という気力しかなかった。寧ろそれはもう無気力の方だった。でもその日は、ジャムを作ろうかなと思えた。そのことが、とてもとても嬉しかったのだ。


昨年、特に下半期、気分が落ち込むことが多かった。毎日が同じ繰り返し。目の前の育児と家事をこなす日々。何も成し遂げていない自分。何も生産していない、お金を稼ぐわけでもない、何だか自分がからっぽな人間に思えて仕方がなかった。

私は幼き頃から結婚願望があり、いつかは好きな人と結婚して子を産みたいとずっと思っていた。他にも夢を持ったが、その思いはいつも根底にあり、人生の最重要事項だった。
幸い叶えることができ、結果として二人の子を産むことができた。本音を言えば三人産みたかったが、たくさん悩みたくさん考えて、それはもう叶えないことにした。つまり私の人生の最重要事項はもう終了したのだ。

もちろん育児は続いていく。お子たちの成長は何よりも嬉しく、楽しみなものである。ただ、子の人生は子のもので、私が何かを生み出すことはもう何もないのだなと思うと抜け殻になった気分だった。これは、あれだ、燃え尽き症候群だ、と冷静に思った。

同時に、そんなことを冷静に思える余裕ができたのだなと気付いた。息子が入園してその生活にも慣れてきて、娘は自宅保育でイヤイヤ期に突入はしたものの、言葉の理解も進み、ある程度の意思疎通ができるようになった。

もう夜泣きもほぼない、授乳時間に縛られることもなく、離乳食の作り置きも必要なくなり、おもちゃを口に入れることも無くなったし、テーブルに上るなんてこともしなくなった、ダメと言えば(大抵の場合)やめるし、おいでと言えば(大抵の場合)くる。

子から目を離せる時間が次第に増え、見知らぬおばさまなどからよく言われた「可愛いけど一番大変な時ね」をいつの間にか越えていたようだ。

ゆっくりと、時間をかけて、私の中に余裕や気力、好きなことややりたいことが戻ってきたのだ。

そんなことを考えていたのがちょうど年末だったので、2024年の目標を「日々を頑張る」にした。無気力からの脱却。

毎日、手帳のマンスリーページに、その日+αでできたことを書き込んでいる。たくさん書き込めたら嬉しいし、何も書き込めなければ明日は頑張ろうと思える。自己肯定感が上がって、とてもいい感じだ。なんだか波に乗れている。また凪も訪れるだろうが、波があるうちは乗るに越したことはない。

育児は大変だ、とても大変でとても楽しく、そんな日々はとても幸せだ。子は、自分のこと以上に大切で、守らなくてはならない存在で。でも一番大変な時を境に、「自分」と「子」の天秤が、圧倒的に「子」に傾いていたそれが、少しずつ少しずつ真っ直ぐになっていった感覚がある。子に手をかけている分、自分にも手をかけて、バランスを取っていくような。

ジャムを作る他にも、最近は運動やヨガをしたり、読書もできるようになった。手の届かない箇所の掃除をしたくなったり、久しぶりにネイルなんかも塗ってみようと思うし、勉強も始めたい。

できたことが増えてきた。やりたいことがたくさん思いつく。

人生の最重要事項を新たに見つければいい。

私はもう空っぽじゃない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?