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差別ってこんなに簡単に起こる

2021年も残すところ2日!

クリスマスが終わると、あっという間に年末ですね。
みなさまに置かれましては、いかがお過ごしでしょうか。

私はと言いますと、子供たちをスイミングのトレーニングに毎朝6時半に連れていき(オーストラリアは夏です!)、

庭の野菜たちに水をやり、一つ一つチェックリストをつぶすように年末の片づけをしております。


と、書いてから瞬く間に、そして年末の大掃除もそこそこに、年が明けてしまいました。

明けましておめでとうございます。


2022年はどんな年になるのでしょうかね。

なんだか数年前のように、


来年はどこそこに旅行に行きたいな!

何月ぐらいに日本に行こうかな!

あそこに行ってみたいな!

なんて、楽しい予定を立てる感じじゃないですね。

なんせ、予定を立ててもロックダウンだ何だかんだと、ことごとくキャンセルさせられますから。

見る限り、来年もまた今の流行り風邪を引っ張れるだけ引っ張って、子供たちにまで謎のクスリを打たせ、そしてあちらさんの適当な時に終わる。

「終わる」のは、この流行り病を終わらせると言うだけで、またそれに続くなにかは出てくるような感じですね。食糧難とか何とか言われてますね。

それこそ、これは明確な証拠もなければ何もないただの予想なので、どうなるか分からないですが。


さて、先日投稿した記事に共感を頂いています。
ありがとうございます。嬉しいです。

↓コレ。「学校ってそんなにいいところじゃないと思う」https://note.com/mihowilliams/n/n06f52597a4aa

学校に少なからず不振を抱いている人がいると言うことでしょうか。

今回の流行り病騒動でこれだけ多くの人がコロっとメディアに洗脳され、友人や同僚、部下や家族に同調圧力をかけ、そして圧力をかけられた人はそれに押しのめされて、それに従ってしまうのも、この義務教育で培わされた協調性や服従性の賜物だと思います。義務教育作戦大成功ですね。

義務教育時代、少々道を外れ、問題児だった経験がこんな形で役に立つとは思っていませんでした。笑


学校制度の始まりって、アメリカの軍がドイツ軍の兵隊を見て、隊長の言うことをちゃんと聞くし、言われたように動くし、みんな乱れず動くし、何でこんなに違うんだ?!とドイツ軍を研究していた時に、それは学校の制度にあったと気づいたのが始まりだそう。(夫情報)。もうその頃からドイツでは今みたいな学校制度になっていて、協調性、服従性を教え込まれていたらしいです。

それをアメリカでも取り入れ、そして日本はアメリカの言いなりですから、日本にも入ってきたわけですね。

みんな同じ服を着て、みんな同じことをして、先生に歯向かっちゃだめで、言われたら疑問を持たずに言われた通りにしなさい。違ったことをすれば罰を与えられ、笑いものにされる。そんな義務教育を受けてきたわけですから、そりゃあみんな洗脳されちゃいます。


こんな話があります。
アメリカの学校で、ある日先生が、「青い目を持つ人は、茶色い目を持つ人より優れていて、えらいです。」と言いました。
先生はある実験をしていたのですが、たったその一言で、そのクラス内で差別が起きました。先生がそれを言うまで仲良しだった子供たちは、分裂し、校庭の遊具も使わせてもらえません。しまいには、喧嘩が始まり、どうしたの?と聞くと、「こいつが僕の事『ブラウンアイ(茶色の目』と言った」と言います。

そして次の日学校に行くと、先生は「ごめんなさい。昨日言ったことは間違いで、事実は茶色い目の子の方が優れていて、えらいです。」と言うと、今度は立場が逆転して、昨日と同じことが起きます。

先生はこの日の最後に種明かしをして、子供たちにどうだったか。と体験したこと、感じたことを話し合い、だから差別はあってはならないものなのよね。肌が何色であろうと、目の色が何色であろうと、私たちは同じ人間なんだから。と言うように締めくくるのですが、この実験で、もう一つ分かることは、先生が「こう」と言うと、子供たちは信じてしまう。例えばそこで、しっかりした大人が、それは違うと思う。と声を上げてくれればいいですが、大人も同じような教育を受けているわけですから、コロッと騙されてしまう。

今回だって、先生が「マスクをしなさい。しない人はバカよ」。と言えば子供たちはマスクをしないわけにはいかない。だって、しなかったら先生認定の「バカ」になってしまうじゃないですか。

こんなこと言う先生はいないと信じたいですが、兎にも角にも今回の流行り病騒動で、メディアにコロッと洗脳され、言われるがままに必要のない異物を体の中に入れてしまうのは、それはもう、小学校、場合によればそれ以前から植え付けられてきた習性。抜け出すには多少時間がかかっても仕方ないのかもしれませんね。

これからの時代、ホントに大切になってくるのは自分軸だと思います。今までは他人軸で生きていてもどうにかなっていたんですが、もうどうにもならなくなってしまった。自分が何を信じるのか、どう生きるのかしっかり自分の軸をもって生きていかないと、ぐらんぐらん揺さぶられることになってきます。


私も長女が生まれてから、自然療法や自然食などにはまって、色々勉強してきました。今もなお継続中ですが、最近やっと自分の軸ができた気がします。

これはきっと今回の騒動のおかげで、この流行病騒動、一概に『悪』なわけではないのかもしれませんね。

今、私には確かな軸があります。何を信じればよいのかわからないとき、それを決める軸は、


それは


自然に迷惑をかけていないかどうか。



私と子供たちはもう長いこと石鹸を使っていません。シャンプーやコンディショナーもありません。湯シャンです。
トイレ掃除、床掃除用の洗剤もありません。雑巾で十分です。
殺虫剤系のスプレーもありません。歯磨き粉は重曹です。洗濯には洗剤を使っていますが、スーパーの匂いのきつい安物ではなく、無臭の流れて行っても水を汚さないものを定期便で買っています。食洗器は重曹をどうにかして作られたウォッシングソーダというものと、クエン酸を合わせたもので用が足りています。

もちろん、欲しいものや、必要なものがあれば買います。原始人のような生活はできませんから。それでも自然に迷惑をかけていないかどうかを軸にすると、自然と生活もシンプルになってきました。

今回の騒動でも、私が早々から、消毒液は使わない、マスクはいらない、検査は受けない、薬は打たない。と世間と逆走していたのも、あらゆるものがすべて使い捨てで、それを使った後に出る大量に出るゴミと、作っている最中に消費されるエネルギーは自然にとって迷惑でしかないと知っていたから。それだけのことです。今回の流行病の威力がどんなものかも知らないし、薬の中身が何なのかも知らないし、知る必要もない。その使った後、打った後のそのプラスチックの大量のゴミはどうなさるんですか?と思うだけ。

もちろん、消毒液は、手にいる常在菌を殺してしまうし、マスクは酸欠状態にしてしかも二酸化炭素の摂取量を大幅に上げるし、検査は鼻の粘膜を傷つけるし、いいことはないからしないのだけど、それ以前に、その大量に出るごみが自然において迷惑でしかない。というのが大前提にあると、簡単に選択することができます。

今、「自然に優しい」を謳った商品がたくさんありますが、自然にしてみたら、知ったこっちゃなんですよね。「自然に優しい」んじゃなくて、「自然が優しい」んです。自然は私たちが生きていけるための、酸素や水や光を与えてくれている大きな存在で、人間はそれを壊し続けているだけ。自然にしてみたら、またやってるよ。それがなくなったら君たちが困るだけなのに。ってな具合です。


さて、今日はニンジンとセロリの花が種になっていたので、種採取して、今月末には種まきです。最近は自分の畑でとれた種が増えてきて嬉しいです。

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ニンジンの種↑

画像2


セロリの種↑


この不安定で不透明の時代、少しでも自給自足できたら、きっと心の持ちようが大きく変わってくると思います。

長々と書きました。またね。




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