最近自分から出た言葉がぜんぶ嘘みたいだ

自分から出た言葉がなんとなく浮いてしまっている、まるで影のなくなったピーターパンみたいだ、わたし自分の言葉がもっと好きだったのに、いまは絵空事のようでむなしい。

昨年から専門学校に通っている。もっと年齢の近い人がたくさん居るだろうと思っていたら、10代や20代前半の人ばかりでとても居心地が悪い。年上はたったの三人、ひと回り程離れたお姉さま方と、70歳を過ぎた行動力のあるおじいちゃんだ。
お姉さまのひとりは、ものすごく処世術に長けた方でいつも感心してその卓越したコミュニケーション術をみてしまう。
わたしは昔から攻撃的ですぐに敵を作ってしまう質なので彼女からうまい身のこなし方を学ぼうとしているのだが、怒ったことがないという彼女とは、そもそもの根っこの生え方が違っているので無理そうだな、と最近あきらめた。彼女には彼女なりの生きづらさがあるのかもしれないが、あの身のこなしにはひどく憧れてしまう。

家では、昨年結婚し夫と愛猫と暮らして楽しい日々を過ごしているのだが、わたしの攻撃的な性格に嫌気がさしている夫に気を遣いながら生活しているのでとても疲れる上に、生きてきた土壌の違いで言葉が通じなかったり会話が積みあがらずストレスもある。夫はフリーランスで在宅での仕事も多い、おまけに私には自室がない。朝、早起きしてゆっくり自分の時間を過ごそうと思っても、意外とあちらも早く起きてきたりして、それだけでも舌打ちしてしまいそうな日々。
結婚にはちっとも後悔しておらず、夫には心から感謝しているのだが、なんたる難しいことか。

芝居をしていたころは、嘘をつかないことをずっと心掛けていた。そりゃ台詞によっては無理やり発していた言葉もあったし、うまくいかないことも沢山あったけれど、出来るだけそのままの気持ちでそのままの自分で板の上に立つようにしていた。それがある種の自分の魅力にもなっていると感じていた。
でも日常ではそうはいかない、考えて言葉を発さなければならない、わたしの言葉は棘があるから、気を付けて慎重に慎重に言葉を発さなければならない。素直に生きることはずっといいことだと思っていたし、今でも思っているのだけど、あれはひとりで生きている場合のことだったのだなぁ。
日常の方がよっぽど芝居染みている。
怒りを隠したり、泣くことを我慢したり。道端で踊りたくなったなら踊ればいいのに、どうして人の目を気にしてしまうのだろう。芝居は自由だったなぁ、うまくやろうとしてしまう自分に嫌気がさす。

素直にいる、そのままそこに居るってどうやってやっていたんだっけ。
やさしさを身につけたかったのに、これじゃ偽善だ。
わたしの言葉はどこに行ったの。

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