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「自己犠牲」と母の愛

母親なら子供を優先して当たり前。それが母の愛。
果たして本当にそうでしょうか。

私はこの考えに小さい頃から疑問を抱いていました。
「なんでお母さんはいつも家族優先で自分が後回しなんだろう」

自分の行きたいところ、やりたいこと、好きなものより、子供が喜ぶことに付き合う。子供の笑顔が見れたらそれでいい。

そう思う気持ちも今なら分かるけど、子供の頃の私はそんな母の姿に何か言語化できないモヤモヤがあり違和感を感じていました。

自分が母になり最近やっとこの違和感の正体が言語化できたので、今回はこの違和感の正体についてを書いてみようと思います。


私が小さい頃にこの違和感を覚えたのは、家族優先の母の姿を見て「こうはなりたくない」と思ったのが始まりです。

何かを「諦め」ているように感じた母の姿は、女性としての人生、一人の人間としての人生ではなく、妻であり母として生きる姿でした。

子供の成長と共にすぐ着られなくなる服や靴を買い替えるために、古くなった自分の服を買い替えるのは後回し。自分に使うお金があるなら子供に使おうとプチプラの化粧品を何年も使う。

そんな「自己犠牲」の上に成り立つ母の愛に私は違和感を感じていました。

私たちの服を買う前に、自分の服を買うべきなのに。お母さんが頑張って働いたお金なんだからもっと自分に使ったっていいのに。

子供の頃の私はそう思っていましたし今でもそれは変わりません。
ですが、母になって分かったのはそれが単なる自己犠牲ではなく愛がゆえの行動だったということです。

きっと母自身もそれが愛だと思ってやっていただろうし、自己犠牲だとは思っていなかったでしょう。子供を想って自分でも気付かぬうちに身を削っていたのかもしれません。

多くのママだってやりたくて自分を犠牲にしてるわけじゃないと思うんです。子供を大切に思うあまり気づいたら自分が犠牲になっていた。そんなママが大半だと思います。

子供と生活している以上、自分を優先するって本当に難しいですよね。意識してやらないとつい子供が優先になってしまうから。

子供を優先すること自体は悪いことでもなんでもないし、むしろ愛のある素敵なママだと思います。

私が言っているのは「子供と同じくらい自分も大切に扱うべき」ということです。

自分でも気付かぬうちに自己犠牲を続けているとそれがだんだん子供にも伝わってきます。自分では気づいていないかも知れないけど、心の中に少しずつ不満は溜まっているんです。

〝子供のため〟と自分に言い聞かせて我慢をしてること。子供はちゃんと気づいてます。誰よりもママを見てるのは子供です。

それに気づいた子供がどう感じるか「ママを我慢させているのは自分なんだ」

きっとそう感じてしまうでしょう。
少なくとも小さい頃の私は家族を優先する母を見てそう感じていました。

母からしてみれば子供がそんな事を感じているなんて思いもしないでしょう。
ですがこれが自己犠牲の上に成り立つ愛の結果であり弊害です。

そしてこれの一番怖いところは「誰も幸せになれない事」

ママはそれが愛だと子供のためだと考え自分でも気付かぬうちに心身を削っている。子供は自分のせいだと自分を責めはじめる。そしてお互いの認識がズレたままになることで親子関係が悪化していく。

この負のループから抜け出すには〝子供のため〟をやめるしかありません。
子供の事を考える時間があるなら自分が笑顔になれることを考えて〝自分のため〟に生きる。

ママの楽しそうな姿を見て、子供は安心し、その様子を見てママも安心する。

これが正しい順番だと私は考えています。

満たされていないママから得たもので子供は満たされません。
子供を満たすことができるのは満たされているママの姿です。


ママはもっと〝自分のため〟に生きるべき。
それが結果〝子供のため〟になるのだから。



ここまでが私が小さい頃に感じたモヤモヤと違和感の正体です。

上手く言語化出来ているかはわかりませんが結論として伝えたかったのは

・自己犠牲では誰も幸せに出来ない
・自分を満たせるママが最強

この二点だけなので、まずは時間がある時に自分が笑顔になれる事をやってみてほしいなと思っています。


少し長くなりましたが最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

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