ガイコク語の本を読むということ
ガイコクに住む不自由さの一つに、気軽に本が手に入らないということがあります。厳選に厳選を重ねて本屋で選んで持って帰ってきたものを、勿体無がりながらちびちび読む。そんな風な貴重な読書。
けれども時代は進み、今は紙じゃなくても良ければ電子書籍ですぐ手に入るし、帰国の際にもbookoffという強い味方が出来たから10冊買っても出費は1000円ちょいと、お財布にも優しい時代になりました。
なかなか手に入りにくい時代だった頃には英語の本を読んでいた時もあります。話題の映画の原作とか、日本が舞台のものとか。Harry Potterシリーズも3巻までは英語で読んでいたのです(4巻目があまりにも分厚くて家の中でさえ持ち歩くのが大変で、数ページ以上進まなくてそれっきり・・・)。
たまたま本好きの人と知り合いになって、その方から日本語の本を譲り受けるようになると、もう英語の本なんて読んでいられなくなりました。だって読み進むスピードが全然違う。
“日本語“が面白くなると、翻訳物も遠ざけるようになりました。
一旦日本語に変換された文章を、元の文章にまた変換するように読もうとしてしまって邪魔くさいから。
ずいぶん長いこと、海外文学から遠ざかっていた気がします。
けれどインスタグラムの本アカウントを始めてから、翻訳ものにも当然と言えば当然なのですが、面白いものがたくさんあることに気づきました。
なので、去年からポチポチ海外文学ともお付き合いを始めたところです。
すると溜まってくるのが積読本。本読みの本棚には積読本という天使だか悪魔だかわからない本がた〜くさん溜まってくるのです。
ここらで一つ整理しておきましょう。
まずは海外文学から。
積読本〜海外文学〜 (6/30/22現在)
『ふたりの証拠』アゴタ・クリストフ
『肉体の悪魔』レーモン・ラディゲ (junzo)
『ロボット・イン・ザ・ガーデン』デボラ・インストール (mei)
『書店主フィクリーのものがたり』ガブリエル・ゼヴィン
『お菓子とビール』ウィリアム・サマセット・モーム
『動物農場』ジョージ・オーウェル
『6時27分の電車に乗って、僕は本を読む』ジャン=ポール・ディディエローラン
訳書は時代背景とか文化がわからないと理解できないものもありますが、
自分的翻訳ものの読み方としては
わからなかったらもう一度読む。
2度繰り返して読んでわからなかったら元の文章を考える。
3回読んでわからなかったら訳者のせい。
楽勝の他力本願。
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