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この指とまれの指を立てていこう

来月、東京に行く用事があります。仕事の用事なのですが、どうせ行くならオンラインでしか会ったことのない人たちとなにか楽しいイベントをして人とのリアルのつながりを持ちたいと思いました。

それで、いつもオンラインサロンで一緒に仕事をしている気心のしれたグループに「私、東京行くんだけど」と投げてみたのですが、それならぜひ何かしよう、というノリにならなかったのです。

あら、なんか寂しいな、と思いつつ、でもこれはいつものメンバーでない人ともっと広く交流しろってことかなと感じたので、今度は楽しそうに、かつグダグダにならず、いつもイベントを開催している2人に声をかけました。

この人たちといるのは心地よい、と感じる空気感というか匂いというか、そういう感覚をキャッチする嗅覚は大事。1つ目の気心のしれたグループほどはお互いを知らないし、距離もそこまで近くない。でもなあなあになりたいわけでもなく、その距離感があるから尊重や尊敬もあって、お互いの能力を発揮しやすい。

結局、この二人は声をかけたら即決で「楽しそう、やりましょう!」と言ってくれました。

この指とまれ、っていう感覚が、集客のマインドであり、他力の感覚です。

この指とまれと声をかけたけれど、かける場所やタイイングが違うと反応がないときはしょっちゅうあります。

そして誰も指にとまってくれないと私って人気ないんだなって傷つきそうで、できないという人が本当に多い。

でも、この指とまれをできるかできないかは、起業できるかどうかを分けるぐらい重要なマインドです。

この指とまれをどこで誰に向かってするかで、反応はかわります。忙しい大人たちばかりいるところで、子どもがこの指とまれをしても、誰も振り向いてくれないかもしれません。

でも別にその大人たちがその子を嫌いなわけでもなく、その企画がつまらないわけでもない。ただ時間がなかったり、その遊びの内容に関心がないだけなのです。その大人たちの事情や興味にあっていなかっただけ。

思い通りに人が反応しないことをなんでも自分の価値に結び付ける必要はないのです。その2つを切り離せている人が本当に少ないし、それが自分の才能を発揮して自由に生きることから遠ざけている。

指に止まる人がいなかったら、別の人たち、場所ですればいいのです。

その場所では、面白そう!やりたーい!という人がたくさんいるかもしれません。すると、さっき誰もとまらなかった場所にいた人の中にも、実は自分ひとりだけ指に止まる勇気がなくてできなかった、と止まりにきたりもするのです。

でも最初のこの指とまれだけは自分でするしかないのです。自分がどうしても実現させたいことがあって、でも自分でこの指とまれはしたくない。だから別の誰かが同じアイデアを思いついてこの指とまれをするまで待っている、っていうことをしていると、いつ実現するかわかりません。

あるいは、別の誰かが先にやってしまったら、本当はこちらの指にとまってくれるはずだった人たちもその人の方にいってしまいます。

この指とまれをすることにとまどいがない誰かに、この指とまれだけやってよ、と頼めばいいと思う人もいるかもしれません。でもその誰かに頼むことが最初のこの指とまれだし、頼まれた人のこの指とまれにあなたのエネルギーが通じていなければ、あなたが一緒に遊びたい人たちは反応しないと思います。

最初に指を立てることだけは自分でしないといけない。

全体にむかっていきなりこの指とまれをしなくていい。一緒にやってくれる人に声をかけるでもいいのです。

断られるのを恐れていたら、この指とまれはできません。でも、たかがこの指とまれなのです。あなたの生命がかかっているわけではない。

誰も止まってくれなかったら、別の方にむかってまたすればいい。

そんな風に軽くいる。軽やかに切り替える。人はそういうエネルギーが好きです。

そしてこれからますます、そういう形の集客が王道になっていくのではないかと思います。

正統性とか権威とか、上下関係とか、そういうものの重たい影響力ではなく。



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