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お金が清流になる

私にはいま、3つの解き明かしたい謎がある。

ひとつはかみごとを仕事にせよ、というお告げの意味
ふたつめは、自分がどうしても離れることのできない「踊る」という活動がなんなのか
みっつめは、お金

この3つはどれもひとつのこととして絡み合っていて、どれかひとつが解ければすべてが解ける気がしている。同じ真理が「かみごと」、ダンス、お金という顔をして別の現象となっているだけだから。

お金のことを理解するのが一番たやすいのかもしれない。実態があるものだし、対象として考えやすいから。

毎月ある人からお金についてのエネルギーワークを受けている。昨日はそこで指定されたワークをしているときに、明らかに私とつながっているお金の質が変わったのを感じた。

目の前に現れたお金のイメージが清流だったのだ。とても澄んで清らかで、川底の藻や岩肌が見える。そこを心地よくさらさらと流れていく清流。その清流は私の身体の中を通り、どんどん洗い清めていく。

お金を思ったときに感じる、重さや濁りや滞り、痛み、期待、色。そうした勝手にお金につけてしまっているものが消えていく。ただの流れになる。

この感覚は自分とは別の存在という対象としてのお金が、自分の中を流れる清流としての一体化だった。

相変わらず、わからないものはわからないし、請求書にどきっとはするきれど、確実に少しずつ少しずつ変わっているものがあって、そのほんの少しさや変わる方向にこれもまた微細な心地よさを感じるから、たぶんこれでいいのだろう。

大変化、激変を期待することを手放して、ありのまま、流れていくまま、起こるまま与えられたものを享受する。清流となったお金の感覚はそれを促している。

本当の本当にそれでいいんだろうなと今は思える。


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