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使命は与えられるものではない

今日、こちらのnoteを読んで、はっとしたことがあります。
使命とか人生の目的とかを、つい外から与えられるものと考えてしまうけれど、だから自分の使命はなにかを「見つけに行って」しまうけれど、それは自分が定義するものなのだと。

天とか神とか宇宙とか大いなる意志とか、そういうものが自分に定めた使命があって、それを知れたらそれを生きれたら、人生は満ち足りたものになる。

こんな風に言語していなくても、心のどこかでこんな風に意識してしまう。だから使命はなにか、自分はなにものなのか、天国の掲示板に張り出されているかのように、あるいは生まれる前に言い渡されたものがあるかのように感じ、それを探してしまう。

でも自分で定義すればよいのだ。しっくりくる感じ、情熱が燃える感じ。それをナビにして、定義する。

そうすれば自分の人生も世界もそのように作られていく。

どんな世界で生きたいのか。そこでなにをしたいのか。それを言語する。それが定義であり、その定義に従って世界は作られる。

ついつい、いつの間にか、使命という言葉に「与えられるもの」という意味付けをしてしまうけれど、与える主体は自分。

潜在意識なのか、集合意識なのか、高次の存在なのか、どれで言い表そうとそれは内なる自分の別名。だから使命は自分が知っている。それを表層意識が理解できるよう言語化することが定義。

使命は誰かに聞いて教えてもらうものじゃない。自分が定義するもの。


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