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人生に意味はない

「人生の目的を見つける」「人生の意味を見つける」ってよく聞く言葉。

でも見つけないとないものであるなら、もともと人生には目的も意味もないんじゃないのと思う。

目的っていうのは、行動する目線の先にあるものなわけで、それがなく歩いているというこは無目的だということ。お散歩じゃん?!

意味もそう。意味のあることをしよう、とか、成功者の行動には必ず意味があるとか、いうけれど。これも意味がなにかわかっているから言えることで。

人生の意味は死ぬときにわかる、なんていうのを聞くと、それって意味ないじゃん?!て思う。意味があると思うから、意味あるように生きるわけで。死ぬときにしか意味がわからないなら、それまでの一生の時間は結局意味がないまま生きるということになる。

意味とか目的とか人生にないとしたら、なんだか急に足元ふわふわして不安になる。

意味も目的も本当のところはわかっていないで生きているのに、ないと考えると足の下になにもないような感覚がする。

意味や目的を知ろうとさせるのも、あるように感じさせるのも、自我なのかもしれない。

永遠に解けないパズルを渡されて、それを解くことに夢中になるから人生をまっとうできる。人生をまっとうさせるためのツール。

パズルを放り出して、意味も目的もないと真に気づいてしまったら、人は覚醒して自我の出番が消える。お花畑で毎日蝶とたわむれるのに意味や目的なんていらない。

わたしは自我まみれで、そんなところには程遠いのだけれど、人生には目的も意味もないんじゃないかという、恐ろしく深くて怖い穴を縁からのぞこうとしているような感覚はある。

成功も失敗も勝ちも負けも、善も悪も、目的も意味も、幻想だ。それがわかっていながら、それにまみれてしまう。それが人生だ。

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