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分かってほしい相手は自分だった

本当の自分を知る個人セッション。昨夜のクライアントのテーマは「自分に自分のことをわかってもらえていない」だった。

セッションの切り口となる相談は、本当はカウンセラーとしてやっていくときめていたのに、なぜかフルタイムの派遣を入れてしまい、いざそれが始まってみたらとても大変で消耗し、本来やらなくてはいけないカウンセラーとしての仕事の準備ができない、なぜそんな仕事を入れてしまうのか、カウンセラーとして踏み出すことを避けているのか、抵抗しているのか、自分がどうしたいかわからない、だった。

カウンセラーとしてやらなくてはいけないことは、具体的には毎日ブログを書くこと。

なぜ書けないかというと、メンターのような俯瞰の視点から見た文章を書きたいけれど、それができないから。自分の文章は、主観的な文章で、それでは心にささらないし、読んでも腑に落ちないし、素直に受け取れないだろう。わかってもらえない。

でもこれって誰かに、あなたの文章は個人的なことだから刺さりません、と言われたわけではない。自分のままではわかってもらえない、という痛みがここから見える。

そして、わかってもらえない、という言葉が出るということは、わかってほしい、と思っているということ。

―どうせわかってもらえない、言ったところでわかってもらえない。

こう言う彼女の声が強く深くなる。

そして、わかってほしい相手は自分なんだ、ということに2年前に気づいたという話になる。親や他人ではなく。

そこで「自分にわかってほしい」と言語化されたときよりも前に、同じ感覚になったときまでさかのぼる。この一場面というのはたくさんありすぎて具体的には思い出せない、というけれど、それでも学校での一場面について話し始めた。

ー自分が自分を裏切っている。哀しい、どうしていいかわからない、どこにぶつけていいかわからない怒り。

ーその子どもの自分はものすごく強くわかろうとする自分を抑えつけ、狭い視野で、盲目的に否定している。その子はまっ黒くてとても固い。

どうしてあげたい?どうしてほしい?それをその子にしてあげてと誘導。しばらく沈黙。

背中に手をおいてなでたりするうちに、真っ黒が少し透明感が出て、がちがちだった固さが少し柔らかさを感じるように。

その子はずっと真っ黒で固くなって、理解しようという自分を抑えつけることで、ずっと大切なものを守ってきたね。理解しようとした自分もその子も同じものを守ろうとしてきた。でも、守られているものは本当は弱くない。本当はむしろ強くて二人を包み込むほど大きい。それがあなたの本質そのもの。

ー光が見える。

ではその光の中にはいって同化してください。

分かられるものも分かろうとするものもない、ということに気づいたクライアント。どちらも一つのもの、ひとつの光。もう守る必要はない。その光そのものとしてただ存在すればいい。

なにをするかは問題ではなく、どうやるかも問題ではない。その光として「ある」だけ。

セッション終了。

本当に、自分の光と一体となった人は外見が変わる。光がその人を包む。笑顔がくったくなくなり、よく笑うようになる。

私は私で、彼女のセッションをしている間、ずっとガイドの存在を感じていた。何を質問するか、ワークするのか、コーチングするのか、すべてゆだねてセッションしていた。

普段なら、この深さは2時間かかるけれど、終わったとき時計は58分しか進んでいなかった。彼女に抵抗がなく、私に思考がないと、こんなにもスムースなのか。

思考を使っていないので、私には疲労が一切ない。ただただ、エネルギーのパイプとして存在していただけ。何もやっていないぐらいの感覚なので、消耗ない分、達成感もない。達成感と消耗は諸刃だったのねと気づく。

ありがとう、ありがとう。この幸せな一瞬をありがとう。





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